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琴奨菊の現在の番付や宗教は創価学会だが嫁の学歴に驚愕!

大相撲の現役力士の中で36歳くらいの力士は古参力士と呼べれるような気がしますが
今回紹介する琴奨菊関も現在36歳で現役力士として頑張っておられますので
現在の番付の状況や信仰している宗教の創価学会に関する情報やお嫁さんのとの結婚に関する
情報もまじえて調べてみましたのでご理解いただき琴奨菊関を応援していただければ嬉しいです。

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目次

琴奨菊関の生立ち

建築会社の社長の三男として生まれました。お父さんは、柔道の山下泰裕選手の影響を受けた方でした。お父さんは建築会社の社長さんなので結構裕福な家庭で育ったようです。

ですから自宅の庭に土俵まで作ってくれたようです。そんな環境の中でその土俵で毎日2時間くらい相撲の稽古に励んでいました。その練習ぶりは、グラウンドで100メートルのタイヤ引きなども行って育ちました。

その他には、牛乳は毎日1リットル飲み、学校にはにぼしを持参、という相撲の英才教育を受けたのでした。ソフトボールでも4番打者を務めた経験もありますが、幼少期から体は大きく、ソフトボールの試合では子供サイズのユニフォームが着られないくらい身体が大きかったので監督のものを借りて出場したというエピソードもあります。

幼少時に、地元に巡業で訪れた貴花田(後の横綱・貴乃花)の膝に乗せられて記念写真を撮ったことが相撲を続ける上での大きな励みになったそうです。その後、高知県の明徳義塾中学校に相撲留学し、3年生となった1998年には全国中学校相撲選手権大会で優勝して中学横綱となり、その後、明徳義塾高校に進学して活躍しました。

小学生のころから佐渡ヶ嶽親方の知遇を得ており、初心通りに佐渡ヶ嶽部屋へ入門したのです。

琴奨菊のプロフィール

琴奨菊 和弘
琴奨菊の画像
基礎情報
四股名 琴奨菊 和弘
本名 菊次 一弘
愛称 キク、ボロ奨菊
生年月日 1984年1月30日(36歳)
出身 福岡県柳川市
身長 180cm
体重 178kg
BMI 54.94
所属部屋 佐渡ヶ嶽部屋
得意技 左四つ、がぶり寄り
成績 現在の番付 東前頭13枚目
最高位 東大関
生涯戦歴 817勝653敗38休(109場所)
幕内戦歴 708勝604敗38休(90場所)
優勝 幕内最高優勝1回
十両優勝1回
賞 殊勲賞3回
技能賞4回

琴奨菊の現在の番付について

琴奨菊関の現在までの番付の経緯について年次別に調べてみました。

2002年1月場所 初土俵

琴菊次(こときくつぎ)の四股名で初土俵を踏んでいます。その後、序ノ口、序二段は各1場所、三段目も2場所で昇進と順調に出世しましたが、幕下昇進後は7場所で負け越し3度と上位の壁に苦しんだ時期でもありました。

2004年1月場所 新十両

3場所連続で勝ち越し、7月場所に新十両へ昇進しました。十両昇進後は3場所連続で勝ち越しました。

2005年1月場所

新入幕を果たした。新入幕となった1月場所では5勝10敗と大きく負け越して、翌3月場所には十両へ陥落した。

2005年3月場所 初の十両優勝

13勝2敗の成績を挙げて初の十両優勝を果たしました。2005年5月場所
再入幕を、果たすと、その後は幕内上位に定着した。

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2006年7月場所

前頭筆頭に昇進し三役昇進が期待された

2006年7月場所

3勝12敗の大敗に終わる。

2005年 初の技能賞

前頭2枚目で迎えた2005年では10勝5敗の好成績を挙げて初の技能賞を受賞した。

2007年1月場所 東前頭筆頭

東前頭筆頭に据え置かれた。

2007年1月場所 西関脇へ昇進

栃東と魁皇の2大関を破る活躍を見せて9勝6敗と勝ち越し、翌3月場所では一気に西関脇へ昇進した。

2007年3月場所 小結に陥落

7勝8敗と負け越し、西小結へ下がった同年5月場所でも千秋楽に出島に敗れて7勝8敗と負け越し、翌5月場所では平幕へ陥落した。

2007年11月場所 小結へ復帰し、2回目の技能賞を受賞

初日に横綱・白鵬に初めて勝利して、9勝6敗と勝ち越しを果たして2回目の技能賞を受賞した。

2008年1月場所 西関脇へ復帰

9日目から途中休場したものの、12日目から再出場して9勝を挙げた。
西関脇へ復帰した.

2008年3月場所 初の殊勲賞

12日目に横綱・朝青龍に初めて勝利し、8勝7敗と勝ち越しを決めて初の殊勲賞を受賞した。

2008年5月場所 三役から陥落

8勝7敗と勝ち越したものの、翌7月場所では6勝9敗と負け越して5場所連続して務めた三役から陥落した。

2008年9月場所から2009年5月場所まで

以降は大関昇進を期待されながらも、2008年9月場所から2009年5月場所にかけては5場所連続で平幕に留まるなど、三役には定着しきれない日々が続いた。

2011年1月場所 3回目の技能賞を受賞

西関脇の位置で迎えた2011年1月場所では11勝4敗という好成績を挙げて、三役では初めてとなる二桁勝利を挙げて3回目の技能賞を受賞した。稀勢の里と入れ代わる形で、自身初となる東関脇の位置で迎えた続く5月技量審査場所では、終盤に失速したものの関脇の位置で2場所連続しての二桁勝利となる10勝5敗の成績を挙げた。

2011年7月場所

大関獲りへの挑戦となった翌7月場所では、初日に豊ノ島に敗れたものの、
以降は9日目に日馬富士に敗れる以外は白星を重ね、11日目には横綱・白鵬も破り、大関獲りが実現する雰囲気が一気に高まったものの、13日目に平幕の隠岐の海に敗れ、続く14日目にも平幕の若の里に敗れてしまい、最終的には11勝4敗の成績となり、2回目の殊勲賞は受賞したものの、大関獲りは次場所への持ち越しとなった。

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2011年9月場所では 大関獲りは次場所への持ち越し

2011年9月場所 3回目の殊勲賞と4回目の技能賞を受賞。大関昇進が決定!

再び大関獲りへの挑戦となったが、初日から7連勝した。途中で2敗したものの、13日目にはその時点で1敗だった白鵬を2場所連続で破る活躍を見せ、千秋楽まで白鵬と共に優勝を争っていた。千秋楽では把瑠都に上手投げで敗れて12勝3敗の成績となり優勝は逃したものの、3回目の殊勲賞と4回目の技能賞を受賞した。

また、この場所を終えた時点で大関昇進の目安とみなされている直近3場所合計33勝に達したため、場所後に行われた理事会で満場一致による大関昇進が決定した。

2007年9月場所 大関昇進の口上

日本出身の大関誕生は、2007年9月場所に新大関昇進を果たしたかつての兄弟子である。光喜(2010年5月場所後に解雇処分)以来4年ぶりのこととなった。昇進伝達式では「大関の地位を汚さぬよう『万理一空』の境地を求めて、日々努力精進致します」と口上した。

2011年 – 2012年までの流れ

新大関の場所となった2011年11月場所は、白鵬と共に初日から9連勝と好調だったものの、10日目で把瑠都に初黒星を喫してから4連敗し優勝争いから脱落したが、千秋楽に同場所大関獲りだった関脇・稀勢の里を下して11勝4敗の成績で終えた

(尚稀勢の里は場所後大関昇進を果たした)。

翌2012年1月場所では初日に豪風に黒星を喫し、以降も調子が上がらずに7勝7敗の成績で千秋楽を迎え、千秋楽の日馬富士戦に勝利して8勝7敗と辛うじて勝ち越した。翌3月場所では終盤に崩れて9勝6敗の成績に終わった。翌5月場所と7月場所でも終盤に失速したが共に10勝5敗と二桁勝利を挙げた。

2011年7月場所に関脇・鶴竜が大関へと昇進したことによって、史上初の6大関時代(琴欧洲・日馬富士・把瑠都・琴奨菊・稀勢ノ里・鶴竜)の幕開けとなりこれが把瑠都が大関陥落するまで三場所に渡り続いた。

2012年9月場所 4日目より休場

3日目の豊真将戦において上手出し投げで敗れた際に左膝を痛め、左膝内側側副靱帯損傷により全治1週間という診断(同場所10日目にさらに3週間加療の診断書が提出された)を受けて、翌4日目より休場した。本人の途中休場は、2008年1月場所以来2回目のこととなった。(他大関陣は同4日目に把瑠都、
6日目に琴欧洲も途中休場)

2012年11月場所 角番脱出

自身初の大関角番となった。この場所は苦戦し、14日目に旭天鵬を破ってなんとか勝ち越し、角番を脱出した。

2013年2013年1月場所 8勝7敗と勝ち越し

から3連勝したが、中盤で4連敗するなど、最終的には千秋楽に8勝7敗と勝ち越しにとどまった。

2013年3月場所も2場所連続の8勝7敗に留まった。

2013年5月 年寄名跡秀ノ山を取得年寄名跡秀ノ山を取得した。5月場所は初日から4連勝、千秋楽では最後まで白鵬と幕内優勝を争っていた稀勢の里を一方的に寄り倒し、5場所ぶりの二桁勝利となる11勝4敗で終え久々に存在感をアピール。

2013年7月場所

5連勝の好スタートだったが、6日目以降黒星が増え9勝6敗に終わった。千秋楽では先場所に引き続き稀勢の里を寄り切りで下した。翌9月場所も中日まで3敗を喫し優勝争いから早々脱落した結果、10勝5敗に留まった。

2013年11月場所 重傷により3日目から途中休場

2日目の松鳳山戦で押し出しで勝利したが、その際自らも倒れこんで土俵の淵に右胸上部を強打したため、勝ち残りであるにも拘わらず、応急処置を優先して苦悶の表情で直後花道を下がり支度部屋へと引き上げた。
病院での検査・診断の結果「右大胸筋断裂で全治3カ月の見込み」の重傷により3日目から途中休場となった。

翌2014年1月場所 2回目の大関角番

7場所ぶり2回目の大関角番となる。

2014年1月場所 角番脱出

怪我が完治していない状態で苦しみながらも12日目で勝ち越しを決め角番を脱出した。尚、この場所4日目の妙義龍戦と勝ち越しを確定した後に行われた千秋楽の稀勢の里戦の計2番で不戦勝を獲得している。

2014年3月場所 勝ち越しを決めた。

14日目に勝ち越しを決め、千秋楽に鶴竜に敗れ、8勝7敗と場所を終えた。
この場所は両横綱を破り、結果的に鶴竜の初優勝にも貢献した。

2014年5月3日

片男波部屋で行われた二所ノ関一門の連合稽古で日馬富士、稀勢の里と14番取り、これが4か月ぶりとなる関取との申し合いとなった。この稽古では怪我の状態を考えて右四つを模索していた。

2014年5月場所 5勝10敗と二桁黒星

右肩胸部に一切テーピングをせずに土俵に上がり続けた。この場所は13日目の白鵬戦で負け越しが決まり、5勝10敗と二桁黒星を喫した。大関の地位での2桁黒星は、2009年3月場所で大関として2勝13敗とワースト皆勤敗数を記録した千代大海以来5年ぶり

2014年の7月場所 通算3回目の大関角番

通算3回目の大関角番となった。2011年11月場所以来となる中日勝ち越しを
達成する絶好調ぶりで角番を脱出。9日目に鶴竜、12日目に白鵬に敗れたが、14日目に高安との2敗同士対決を制し、白鵬と同じく12勝2敗で優勝争いの先頭を走った。

千秋楽はこの1番に大関取りを懸ける豪栄道と対戦して黒星を喫するも、場所自体は12勝3敗の優勝次点という好成績に終わった。

これを受けて、翌9月場所の番付は在位18場所目で初めて東正大関となった。

2014年の9月場所 2度目の皆勤負け越し

しかし、東大関で迎えた9月場所は、5日目からの3連敗で早々優勝争いから脱落、後半戦で立ち直ったが9勝6敗に留まった。続く11月場所も不調で中日で3勝5敗と黒星先行、13日目からは3連敗で6勝9敗と2014年5月場所以来大関として2度目の皆勤負け越しを喫した。

2015年1月場所 9勝6敗で角番脱出

角番で迎えた翌1月場所は、3日目の栃煌山戦で早くも土がつく。さらに、続く4日目の逸ノ城戦も注文相撲で敗れてしまい、序盤で2連敗を喫してしまう。

しかし、その後の中盤は順調に星を重ね、5連勝と調子を取り戻す。7勝2敗と角番脱出に王手をかけ挑んだ日馬富士戦には敗れるものの、翌日に鶴竜を破って角番脱出。

しかし、終盤に負けが込んでしまい、この場所は9勝6敗で場所を終えた。

2015年3月場所 8勝7敗で場所を終えた。

2014年7月場所以来の初日から4連勝を達成する。しかし、5日目の栃煌山戦で土がつき、対栃煌山戦は2連敗となる。翌6日目の逸ノ城戦でも黒星がついて、対逸ノ城戦も2連敗し、奇しくも2場所連続で栃煌山・逸ノ城戦で連敗を
喫してしまった。9日目の豪栄道戦にも敗れ、翌10日目も好調の照ノ富士戦にも敗れてしまい、2回目の2連敗を喫してしまう。11日目の栃ノ心戦は勝利し、12日目の白鵬戦、13日目のライバル・豊ノ島戦でも2連敗を喫するものの、14日目に対戦成績で勝ち越している横綱・日馬富士を4場所ぶりに破る活躍を見せ勝ち越しを決める。

奇しくも琴奨菊は2場所連続で横綱を破り勝ち越しを決めた。千秋楽に稀勢の里に敗れ、8勝7敗で場所を終えた。

2015年5月場所は、
中日で4勝4敗、9日目に4勝5敗と黒星が先行。14日目に日馬富士に敗れ6勝8敗、
千秋楽も稀勢の里に負けて6勝9敗と、3場所ぶり3度目の大関皆勤負け越しとなった。

2015年7月場所 通算5回目の大関角番を脱出

通算5回目の大関角番となった。序盤から波に乗れずに、12日目は白鵬に敗れ5勝7敗と絶体絶命、関脇陥落の大ピンチとなってしまう。だが、そこから3連勝し、千秋楽は新大関の照ノ富士を立合いで変化して叩き込み、8勝7敗と辛くも勝ち越しカド番を脱出した。

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2015年9月場所 7場所ぶりの2桁勝利を挙げた。

持ち味のがぶり寄りが発揮して10日目に勝ち越しを決め、最終的には11勝4敗と、7場所ぶりの2桁勝利を挙げた。

2015年11月場所 14日目から休場した。

2014年7月場所以来の初日から5連勝。しかし、6日目に逸ノ城に敗れると、9日目から4連敗するなど精彩を欠いた。13日目に妙義龍に小手投げで勝って勝ち越しを決めたが、左前脛骨筋挫傷で14日目から休場した。

2016年 -初優勝-

2016年1月場所は、4日目の安美錦戦こそ際どい相撲だったが、中日には稀勢の里との58回目の対戦(武蔵丸 – 貴ノ浪とならび史上最多)に寄り切りで勝利すると、10日目鶴竜、11日目白鵬(全勝対決)、12日目日馬富士と3横綱を圧倒し、優勝争いの先頭に立つ。
3横綱連破は1991年初場所、霧島が旭富士、大乃国、北勝海を破って以来25年ぶりのことである。

13日目に2敗で追う豊ノ島にとったりで不覚をとり白鵬と並んだが、14日目は栃煌山に勝って1敗を守り、自身の取組後に白鵬が敗れたため、再び優勝争いの単独先頭にたった。

千秋楽は豪栄道を突き落としで破り、2006年1月場所の栃東以来10年ぶり(59場所ぶり)の日本出身力士の優勝(帰化日本人を含めれば2012年5月場所の旭天鵬以来3年半ぶり)を決めた。

なお、31歳11カ月での初優勝は、年6場所制が定着した1958年以降、霧島の31歳9カ月を抜いて旭天鵬、貴闘力に次ぐ3位の年長記録。初土俵から84場所での初優勝は、優勝制度が制定された1909年5月場所以降、隆の里に次いで6番目のスロー記録。

新入幕から66場所での初優勝は、1909年5月場所以降、旭天鵬に次いで2番目のスロー記録。
大関26場所目での初優勝は、昭和以降の新大関で、21場所の千代大海を上回る史上最スロー記録。佐渡ケ嶽部屋の優勝は2008年5月場所の琴欧洲以来14度目。二所ノ関一門も琴欧州以来。部屋別では九重部屋の52度が最多となっている[21]。福岡県出身力士としての優勝は沖ツ海、魁皇に次いで3人目。

2016年3月場所 綱取り失敗

今までの安定感の欠如から、高い水準での優勝、内容が求められる、という条件のもと、初の綱獲り場所となった。初日から先場所の勢いそのままに4連勝。5日目の隠岐の海戦で土俵際のはたきこみに屈して初黒星。

9日目からは稀勢の里、豪栄道、照ノ富士の3大関に敗れ3連敗で4敗、場所後の綱取りは消滅した。13日目以降の3横綱との戦いもいいところなく全敗、8勝7敗の成績で終えた。

2016年5月場所 10勝5敗の成績

6日目までに格下相手に2回立合い変化を受けて2敗し、早々に優勝戦線から脱落。最終的には10勝5敗だった。

2016年7月場所 休場

大関となって初の開幕4連敗スタート。5日目に同じく4連敗の御嶽海を破ってようやく初勝利を挙げた。しかし6日目に隠岐の海に敗れ5敗目を喫し、古傷の左膝などを痛めたため、翌日から日本相撲協会に「左膝内側側副靭帯損傷、左アキレス腱周囲炎のため約14日間の安静、加療を要す」との診断書を出して休場。

7日目の魁聖戦は不戦敗となり、魁聖は2014年初場所の琴奨菊自身以来となる1場所2度目の不戦勝。秋場所は6度目の角番になる。大関角番6回は武双山に並ぶ歴代6位の記録。

2016年9月場所 体重を173kgまで落とし手応えを感じた。

9勝6敗で角番を脱出するも千秋楽に豪栄道に敗れ全勝優勝を許してしまった。2016年11月場所前の11月4日、尾車部屋の九州場所宿舎で行われた二所ノ関部屋の連合稽古では、それまで182kgあった体重を173kgまで落としたにもかかわらず稀勢の里に馬力勝ちする場面もあり「ちょっとやせて、動きやすくなった。もうちょっとやせてもいいのかな。馬力もしっかり乗っているし」と本人も手応えを感じていた。

2016年11月場所 歴代ワースト4位の7回目の角番

連敗が続くなどし11日目に横綱・日馬富士に下手投げで敗れ負け越しとなり来場所は歴代ワースト4位の7回目の角番となる。13日目に栃煌山に勝利し連敗は6でストップさせ、この場所は5勝10敗で場所を終えた。

2017年 -7度目の角番で大関陥落-

7度目の角番ながら前年の初場所に続いての連覇と横綱への昇進を目指し稽古場でも稀勢の里を圧倒すなど好調な様子を見せ、歴代10位タイとなる32場所目の大関在位で挑んだ

2017年初場所は大関から関脇への陥落が決定

しかし、翌日に早くも黒星。3日目は勝利するもその後連敗。早くも初場所連覇を目指していた優勝争いから脱落しそれどころか6日目で4敗と角番脱出に
苦しい星になる。

また、7日目に西横綱の日馬富士が休場したため対戦の機会が消滅し角番脱出に追い風が吹いた。しかし、7日目の高安戦は故障を抱える足がついていかずはたきを残せずバッタリと土俵に落ちて敗北し5敗といよいよ苦しくなり、翌日も松鳳山に小手投げで敗戦し4日目から5連敗で6敗目。

9日目に全勝だった大関・稀勢の里を寄り切りで倒し連敗をストップさせ3勝目をあげた。

翌日10日大関・豪栄道に7敗目を喫し、いよいよ大関陥落へ後が無くなった。11日目は横綱・鶴竜が休場したため不戦勝となり幸運な形で4勝目をあげた。しかし、翌12日目に新関脇・玉鷲に押し出しで破れて力尽き、ついに32場所在位した大関から関脇への陥落が決定し、前年初優勝した初場所とは明暗がはっきりわかれる場所となった。

大関陥落は琴欧洲(途中休場により大関陥落決定)以来3年2ヶ月(19場所)ぶり16人(19度)目で、相撲を取っての大関陥落決定は2009年11月場所10日目の千代大海の対朝青龍戦以来7年2ヶ月(42場所〈2011年3月場所は八百長問題で中止のため〉)ぶりとなった。

なお大関陥落が決定した場合でも、次場所の番付発表の前日までは大関として扱われる。引退や休場はせずに残りの3日も相撲を取り続ける考えを示した。来場所のために残り3日間の出場を勧めていた。

また、4年前の1月19日は二所ノ関一門の元横綱・大鵬の納谷幸喜が死去した日で琴奨菊は朝稽古で「自分の相撲を見せられたら」と語っていたが厳しい結果になってしまった。先代師匠の元横綱・琴桜は大関在位32場所で横綱になったが琴奨菊は史上10位タイの同じ32場所を務めて降格となっている。

対戦相手の玉鷲はこの一番が琴奨菊の大関陥落を決定させる8敗目となる取組相手となり、玉鷲が大関からの引導を渡す形になった。この取組について玉鷲は「涙が出そうだった」と声を詰まらせ、二所ノ関一門である大関とは
「十数年一緒に戦ってきた」という間柄だが「勝負の世界」と情け無用で一番に臨んだとのこと。玉鷲は「悲しいより、いい方に考える」と前向きに捉え、琴奨菊については「次の場所頑張って、絶対また上がってくる」と話した。

この場所は結局休場せず最後まで大関として相撲をとり、13日目も横綱・白鵬が下手出し投げ、14日目の勢戦でも敗れ3連敗。千秋楽の照ノ富士との大関対決で勝利。最終的に5勝10敗で場所を終え、この場所稀勢の里が14勝1敗で優勝したため唯一勝利した相手となった。

大関陥落後の状態の詳細

師匠の佐渡ケ嶽親方は一緒に食事をして琴奨菊の現役続行の意志を確認したことを明かし「10勝すれば大関に戻れる。全勝の稀勢の里に勝つ(1月場所9日目)力もある」と復活に期待を込め、3月場所で10勝以上をあげて、5月場所での大関特例復帰を目指す。

また、八角理事長も「堂々と戦い、堂々と負けた。来場所は堂々と上がればいい。何も恥じることはない」と再起に期待した。2月16日の朝稽古では土俵に上がらず若い衆を相手に左四つの動きを確認するなどの軽めの調整を行うにとどまったが「大丈夫。(上がらなかったのは)今日はたまたま」と、軽症をアピール。

初優勝後有頂天になっていたことや体幹トレーニングに傾倒して土俵での稽古が疎かになっていた琴奨菊は反省し、すもうの基本、四股、テッポウ、すり足を入念に行い、出稽古もひんぱんに行った。

夫人から「35歳まで頑張って」と激励され、すっかりその気になり、以前から「子どもが物心つくまでは現役で」と漏らしていただけに、まるで別人のような変身ぶりであった。

3関脇場所の東関脇2として迎えた3月場所では、初日に休場明けの横綱・日馬富士を押し出し、4日目には初日から3連勝である

横綱・鶴竜をのすくい投げで転がし土を付ける。11日目から平幕の勢と宝富士に連続して敗れ5敗となり後がなくなる。その後なんとか勝ち越すが14日目の大関・照ノ富士に、立ち合いの変化からのはたき込みを受けてしまい6敗。

特例での大関復帰が阻止され、来場所の大関復帰条件(10勝以上)を満たすことができなかった。千秋楽は勝利しこの場所9勝6敗で場所を終えた。5月場所からは通常と同じ条件による大関復帰を目指すことになった。

5月場所も関脇として場所に挑むが、初日から3連敗するなど負けが先行。関脇・玉鷲に4日目にようやく勝利したがその後再び4連敗し横綱・白鵬に敗れた段階で7敗としたあと、踏みとどまって横綱・稀勢の里に勝利するなど3連勝していたが、12日目に小結・御嶽海に負けて8敗目を記録し負け越しで関脇からの陥落と3関脇の終了も決定した。結局、この場所7勝8敗で場所を終えた。

7月場所は西小結の地位を与えられた。2010年5月場所以来7年ぶりの小結。
戦後、大関陥落後に3場所連続で三役を維持したのは史上5人目である。 その7月場所は初日から連敗。5日目に1勝3敗だった大関・照ノ富士にようやく勝利し連敗を止める(この取組で照ノ富士は膝を痛めて休場)。その後稀勢の里の休場で不戦勝し、大関豪栄道にも勝利するが11日目に貴景勝に敗れて7敗となり、あとが無くなる。

14日目に栃ノ心に敗れ、来場所の平幕への陥落が決定した。千秋楽は勝利し、この場所も7勝8敗で終える。9月場所は西前頭筆頭の地位を与えられた。

初日から豪栄道、照ノ富士と大関二人に連勝。3日目にも横綱・日馬富士をそのまま倒し、結局待ったは成立せず自身初の金星獲得となった。初土俵から94場所目での初金星は昭和以降新入幕を果たした力士の中では4番目に遅い記録となり、元大関の金星獲得は2008年秋場所の雅山以来、史上15例目。

新入幕から76場所目での初金星は貴ノ浪の67場所を抜いて1位のスロー記録。
なお大関陥落者で金星を手にしているのは彼以前には貴ノ浪、出島、雅山の三人しかいない。その後4連勝まで伸びるが5日目から4連敗し9日目にようやく止め12日目に勝ち越しを決めた。この場所は14日目に豪栄道が11勝目を挙げるまで優勝争いに加わっており、最終的にこの場所は久しぶりの二桁となる10勝をあげた。

ご当地場所となる11月場所は東小結として迎えた。初日からの上位戦は4日目に照ノ富士を破った以外は負けて、10日目に負け越しとなったが、11日目にはここまで3敗の貴景勝、千秋楽でもここまで4敗の逸ノ城を破るなど終盤に存在感を見せ、6勝9敗の成績だった。

2018年1月場所は西前頭2枚目の地位で迎えた。初日から3連敗したが、4日目の横綱・稀勢の里戦で押し出しで勝利し、自身2つ目の金星を獲得。翌5日目の横綱・白鵬戦は不戦勝で勝利する幸運を得た。

しかし7勝7敗で迎えた千秋楽で同じく7勝7敗の宝富士に敗れて負け越した。
翌3月場所は序盤の上位戦で負けが込み、11日目に負け越しが決定。終盤やや持ち直して
6勝9敗と一桁の負け越しに留めた。
14日目の阿炎戦で立ち合い変化されて敗れた際には、勝負が決まった後に阿炎を突き飛ばすなど苛立つ様子も見せた。

翌5月場所は序盤から好調。勝ち越したが後半失速して8勝7敗に終わった。
7月場所は序盤から不調で、11日目から「左上腕二頭筋腱損傷、左上腕三頭筋腱損傷」のため休場し、9年連続で勤めた幕内上位から転落することが確実となった。

翌9月場所は西前頭8枚目で、久々に上位戦がない場所となった。初日から3連勝と好調だったが、終盤失速して7勝8敗と負け越した。2019年3月場所は優勝争いに加わっていたが13日目の明生戦で上手出し投げに敗れて3敗目を喫し、優勝争いから脱落した。

千秋楽の竜電戦を勝つという条件付きで敢闘賞候補になったが、寄り切りで敗れ、11勝4敗で場所を終えて敢闘賞も逃した。

しかし11勝は優勝した時以来の好成績である。東前頭9枚目の地位で土俵に上がった11月場所は10日目に負け越しを確定させるなど中盤まで不調であった。

その成績次第では2020年1月場所の十両陥落も有り得る状況であったが、残りの5日間は14日目の大翔丸戦以外すべて白星で終え、6勝9敗として2020年1月場所の幕内残留を確定させた。

2020年1月場所は東前頭13枚目で迎えた。
この場所は7日目までは4勝3敗と白星先行だったが、そこから5連敗を喫して12日目に
負け越しが決定。
残りの星によっては十両陥落も危惧されたが、13日目からはすべて勝利し、7勝8敗と負け越しを最小限に留めた。なお翌3月場所では先場所で負け越したものの番付編成の結果、1月場所と同じく東前頭13枚目に据え置かれた。
結局、3月場所も7勝8敗で終えた。

琴奨菊は創価学会の信者なの?

確かに琴奨菊関は創価学会の信者なのかについて調べてみましたが現実としては、信者であるという確信のある情報は見当たりませんでしたがネット上では、琴奨菊関の土俵上での仕草が「琴バウアー」と称して創価学会のお祈りの仕草?から連想されているらししいのですが、実際のことはわかりかねます。

その他に琴奨菊関は一度婚約を一般のある女性の方と交わした経緯がネット上に溢れていました。それらの情報には婚約を解消した理由が多々記載されていましたがその内容はもしかすると琴奨菊関が創価学会に入信を勧誘したので一般女性はそれに耐えられなくなったとか真相ははっきりしません。

https://xn--u9jy52g7hi70x09p6lc7t7c.com/2020/01/17/kotoshogiku-yome/

琴奨菊の嫁の学歴について

琴奨菊と嫁の石田祐未さんは、学習院大学出身で、英語やスウェーデン語など4か国語を操る才女の素晴らしい女性です。

海外に留学経験もあります。

また、石田祐未さんは学生の頃から相撲のファンだったので、国技館で外国人客を案内するアルバイトをしていたこともあるそうです。

琴奨菊との出会いも、国技館でアルバイトをしていたのがきっかけだとか?

石田祐未さんは、アルバイト中に琴奨菊の部屋名と出身地のアナウンスを聞いた瞬間に、縁を感じたのだそうです。

琴奨菊を好きなった理由というのが、父親と同じ福岡県柳川市出身だったからで、そこから猛アタックを開始。

最初は、手作りの名刺を作って、琴奨菊に渡し、数回のメールのやりとりを重ねその後は、石田祐未さんの方から、食事に誘うなど積極的にアプローチしていったと言われています。

琴奨菊と嫁の石田祐未さんは海外留学の経験をされているので、意外と異性との交流には積極性があったような気がします。

そして、2年半の交際を経て結婚。

結婚後の現在は、フードマイスターの資格を取って、旦那の琴奨菊をサポートしているそうです。

その他には、自動車の免許まで取得して琴奨菊関野身の回りや健康に貢献したと言われています。

琴奨菊の「菊バウワー」は儀式だった?
琴奨菊が取り組む前に行う、体をのけ反らす姿勢のルーティーンが「菊バウワー」という名前がついて話題になっています。

ただ、「菊バウワー」は、宗教で集中するときに取り入れる儀式ではないか?と言われているのです。

本来なら、宗教では正座をして集中力を高めるところ、土俵では正座ができません。

そのため、ああいった格好で集中力を養っているのでは?と話題になっているのです。

実際に、「菊バウワー」のように、体をのけ反らす姿勢は、
エネルギーレベルを上げるのに体をのけ反り、丹田に全神経を集中させ、溜めた気を呼吸と一緒に吐き出すという方法だといいます。

琴奨菊が宗教信者とのウワサから、あのような姿勢で集中力を高めている可能性があるのかもしれません。
今回優勝したことでいろいろと話が盛り上がっていますが、琴奨菊には次の場所も優勝の期待がかかっています。

琴奨菊の嫁の妊娠の情報

32歳の誕生日の1月末に結婚式を行った。その後第一子となる長男が誕生。
長男は自分の下の名前から「弘」の字を取って「弘人(ひろと)」と命名。

4月7日、第一子となる長男が誕生。長男は自分の下の名前から「弘」の字を取って「弘人(ひろと)」と命名。

琴奨菊の菊次家では祖父の代から名前に「一」の文字を入れてきたが
「自分からリニューアルです。健康でいてほしいこと。とにかく遊ばせた。
男の子は元気に育ったらいい」と目を細めていた。

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まとめ

琴奨菊関は横綱には昇進出来ませんでしたが、大関時代から横綱に昇進するまでに何度も機会があったのですが、結局大関としての立派な成績を残し、在でも現役として堂々と活躍している姿は素晴らしいですね
結婚に至るまでの経過には一度失敗していますが現在のお嫁さんに恵まれこれからは、お嫁さんに助けられながら大相撲に精進されることを希望致します。

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