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訃報】東関親方の体調不良で悪化して永眠おかみさんが驚愕!

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責任感が凄く審判部で活躍の東関親方(潮丸関)が突然41歳の若さで

永眠した情報が飛び込んできました。

今回は、あまり人気の少ない東関親方(潮丸関)ですが(ごめんなさい)

一体どんな力士なのか?について調べてみました。

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東関親方(潮丸関)のプロフィール

四股名 高見佐野→天福→潮丸
本名 佐野元泰
愛称 ウッシー
生年月日 1978年5月11日
没年月日 2019年12月13日(41歳没)
出身 静岡市葵区
身長 176cm
体重 169kg
BMI 54.56
所属部屋 東関部屋
得意技 突き、押し、両差し、寄り

東関親方(潮丸関)の経歴

東関親方(潮丸関)の少年時代には
身体も大きく野球では4番バッターでした。
その頃から、責任感も強く生徒会長等を
努めていた
真面目な性格の持ち主だった様です。

相撲界に興味を抱いた原因は、
1代目東関大五郎であった
元関脇の高見山関からの誘いがあったことでした。

その頃から、母親思いの気持ちがあり
母親を少しでも楽をさせたい願望から
中学校を卒業と同時に東関部屋に入門します。

東関部屋に入門してからの出世は比較的早く
初めて土俵に立ったのは1994年3月で16歳の時でした。

その後、十両優勝と幕下優勝を1回ずつ経験し、
最高位は西前頭10枚目となっていました。

しかし現役時代は左膝の怪我に悩まされ、
思い通りの相撲ができないこともしばしばでした。
力士の皆さんは、怪我が多く特に膝や腰等の故障に
悩まされる力士が多くいますが、

東関親方(潮丸関)も
同様に左膝の故障に悩まされたのです。

東関親方(潮丸関)の初土俵以降の経歴

1994年3月場所に初土俵
2002年1月場所で新十両へ昇進

その1月場所では11勝4敗の好成績を挙げた。
同年7月場所では13勝2敗の成績を挙げて
初の十両優勝を果たしています。

翌9月場所には新入幕を果たした。
新入幕の場所こそ勝ち越したものの、
その後は左膝・左脚の怪我に悩まされて
幕内と十両の往復に終始した。

2010年1月31日には
「潮丸引退東関襲名披露大相撲」(断髪式)が催された。
引退相撲では同部屋の現役力士である高見盛との
割が組まれ、この「最後の一番」を勝利で飾った。
止め鋏は先代の東関親方(潮丸関)が入れた。

2012年の役員改選と同時に行われた新たな職務分掌では、
平年寄としては異例となる勝負審判に就任した。

この役員改選前の地位は平年寄で、
勝負審判は現役時代の最高位が前頭2枚目以上で
且つ委員の親方が原則として務めることとなっていたが、
役員改選後も昇格はせずに
そのまま平年寄に留め置かれた
(2013年2月に主任へ昇格)。

2005年には幕下に2度陥落したが、
いずれもすぐに十両に復帰している。

・東関親方(潮丸関)の引退以降

2009年東十両7枚目出迎えた5月場所で引退を表明し、

その年に13代東関を襲名して東関部屋を継承したのでした。

通算成績は482勝448敗51休

勝率は.518です。

東関親方(潮丸関)の引退について

2010年1月31日には
「潮丸引退東関襲名披露大相撲」(断髪式)が
催されました。

引退相撲では同部屋の現役力士である
高見盛との取組が組まれ、
この「最後の一番」を勝利で飾った。
恩返しができたのです。

止め鋏は先代の東関親方(潮丸関)が入れた。

2012年の役員改選と同時に行われた新たな職務分掌では、
平年寄としては異例となる勝負審判に就任した。

この役員改選前の地位は平年寄で、
勝負審判は現役時代の最高位が前頭2枚目以上で
且つ委員の親方が原則として務めることとなっていたが、

役員改選後も昇格はせずにそのまま
平年寄に留め置かれた(2013年2月に主任へ昇格)。

東関親方(潮丸関)の体調について

2012年12月25日に胸椎後縦靱帯骨化症で入院して手術を受けた。

手術後も1か月近く入院していたが、
2013年1月場所中に退院したが、
同場所千秋楽に現役を引退した高見盛の引退記者会見にも同席した。
同年の春巡業において職務へ復帰している。

師匠としては、弟子たちに毎日ノートを提出させ、その日の相撲や稽古の反省、
その他思うことを報告させることで弟子との密なコミュニケーションを図っている。
また、支持者のふりをして近づく反社会的勢力を
排除するため、
金銭の発生する会合に弟子が出るときは必ず報告を義務付けている。
この様に素晴らし指導力と責任感がある師匠でした。

晩年は2018年末から体調不良のため、
本場所を休場していたが、2019年12月13日21時52分、
血管肉腫のため、東京都葛飾区の自宅(東関部屋)で死去。41歳没。

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東関親方(潮丸関)のエピソード

2007年のハワイ巡業の際には、
ハワイの地元紙「ホノルルアドバタイザー」にて、
師匠の東関親方(潮丸関)から東関親方(潮丸関)の
後継者に指名されていた。

この頃が東関親方(潮丸関)の絶好調の頃でした。

同年の5月には結婚している。

、納豆にダイエット効果があるという話を聞いて、
同年1月場所中に納豆40パックを食べたが、
千秋楽近くになって番組内容が捏造だったことを知り、
立腹して残念がったいました。

やはり、体調にはきをつけていたのが伺えます。

ダイエット効果よりも代謝が良くなったり
血液中の有害物質を壊す効果を期待していたそうで
結局体重は変わらなかったという。
ということから納豆効果はなかったのですね

まとめ

今回は東関親方が残念ながら永眠され
スー族としては大変悲しい出来事で
ビックリしてしまいました。

東関親方は41歳の若さで病に勝てすに永眠されました。

東関親方は小さい頃から母親思いの気持ちの
優しい力士でした。

部屋に在籍しているお弟子さんにも
細かい心遣いのされる力士さんであり

残されたおかみさんの40歳の若さで、
本当に可愛そうな気がしてなりません。

東関親方のおかみさんが綴ったブログがありましたので
ご覧になって下さい

おかみさんん日記

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