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照ノ富士の来場所番付と照ノ富士病気は完治したの?十両復帰!

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照ノ富士関は元大関にて活躍していましたが

令和に成って、十両優勝を果たし,

見事に関脇に復帰出来ました。

今回は、照ノ富士関が病気を克服して、病と戦い、

関取として

今後の活躍に期待できると、

ファンとして確信出来るのでは無いかと思い、

照ノ富士の生い立ちから、最近までの病気と

戦って克服した苦労等を調べて見ました。

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照ノ富士のプロフィール

本名 ガントルガ・ガンエルデネ
四股名の遍歴  若三勝 由章

照ノ富士 春雄

愛称 ガンエル・ガナ
生年月日 1991年11月29日(27歳)
出身 モンゴル・ウランバートル
身長
体重
192cm
178kg
所属部屋 間垣部屋 → 伊勢ヶ濱部屋
得意技 右四つ・寄り

成績
現在の番付 西幕下10枚目
最高位 東大関

生涯戦歴 303勝208敗78休(52場所)
幕内戦歴 169勝147敗44休(24場所)
優勝 幕内最高優勝1回
十両優勝1回
幕下優勝1回
賞 殊勲賞1回
敢闘賞3回

・令和元年大相撲九州場所十三日目【照ノ富士】幕下優勝で関取復帰へ」の画像をお楽しみ下さい!

入門までの来歴

青年に成長する迄はスポーツには無縁だったが

身体が大きかったので、巨体を活かすことを感じ

横綱の白鵬関の父親に素質をみいだされ

柔道を習っていたが

2007年に母と日本に観光旅行をした折に、

偶然、相撲部屋関係者に声をかけられて

連日稽古を見学したことで、

大相撲の世界に魅了された。

学業成績も優秀で飛び級を認められ、

17歳で技術大学に合格。
相撲留学を決断する。

鳥取城北高校に編入

2009年3月26日に来日して鳥取城北高校に編入し、

高校3年次の全国高等学校総合体育大会相撲競技で、

鳥取城北高校の団体メンバーの一人として優勝に貢献した。

2010年、埼玉栄での出来事

2010年のインターハイの準々決勝で埼玉栄と当たった時、

照ノ富士を石浦監督は出場させた。

入門から関取昇進まで

高校卒業を控えて2010年に間垣部屋に入門。

2011年1月場所前の新弟子検査を受けたが、

興行ビザの関係で、

初土俵は翌5月技量審査場所となった。

5月技量審査場所で共に初土俵を踏んだ。

照ノ富士は幕下昇進までの経緯

全ての段を1場所で通過するなど順調な出世を見せ、

2012年1月場所は、東幕下15枚目だった同年7月場所では
3勝4敗と入門して初の負け越しを喫した。

2013年3月場所限りで間垣部屋が閉鎖されて

伊勢ヶ濱部屋に移籍すると、

2場所連続で6勝1敗の成績を上げ、

場所後の番付編成会議で9月場所で

新十両昇進が決定した。

照國という2人の横綱にちなんだ「照ノ富士」と改める。

関取昇進後

新十両として迎えた9月場所も

2014年1月場所は西十両筆頭で

12勝3敗の好成績を挙げ、

翌3月場所で新入幕を果たした。

東前頭筆頭まで最高位を更新した。

同年9月場所は、大関琴奨菊戦で

戦初挑戦にして白星を挙げる。

しかし2日目から6連敗とその後は振るわず

場所成績は6勝9敗の負け越しに終わった。

2015年 敢闘賞 受賞

2015年1月場所は東前頭2枚目で8勝7敗となり、

敢闘賞の候補となり自身初の三賞となる敢闘賞を受賞した。

翌3月場所は新三役、

・関脇昇進で殊勲賞、敢闘賞を受賞

小結の地位を通り越して関脇昇進を果たす。

モンゴルからの新三役(関脇)は、

2014年11月場所の逸ノ城以来初であった。

新関脇の3月場所は初日から7連勝し、

13日目にはそれまで36連勝だった横綱の白鵬を破るなど

13勝2敗で殊勲賞、敢闘賞を受賞した。

新大関の誕生

翌5月場所では12勝3敗で初の幕内最高優勝

5月27日の番付編成会議および理事会において、

満場一致で平成生まれ初の大関が誕生した。

三役2場所での大関昇進は年6場所制になった

1958年以降では初めてである。

新大関昇進後の成果は

大関昇進直後、更なる昇進への意欲を示した。

2015年7月場所は新大関として

初登場し初日から6連勝と好調だったが、

7日目に豪栄道に敗れ初黒星。

9日目稀勢の里に勝ち8勝1敗と勝ち越したが、

その後11日目に白鵬、12日目に鶴竜の両横綱に敗れて

優勝争いから脱落。

千秋楽は大関角番脱出を賭ける7勝7敗の琴奨菊に立合いで

変化されて勝ち越しを許し、結果11勝4敗の成績だった。

怪我の症状発覚の経緯

2015年9月場所は横綱白鵬が3日目から途中休場となる中、

初日から一人11連勝していた。

しかし12日目の栃煌山戦で初黒星、

翌13日目の稀勢の里戦で寄り倒された時、右膝を負傷

14日目の豪栄道戦に強行出場するも

あっさり寄り切られ3連敗。

それでも千秋楽結びの一番では、

過去4戦4敗だった単独トップの横綱鶴竜を寄り切って
初勝利。

12勝3敗同士の優勝決定戦へもつれ込んだが、

鶴竜に上手出し投げで敗れ、

惜しくも2回目の幕内優勝はならなかった。

場所後の精密検査で

「右膝の前十字靱帯損傷・外側半月板損傷」
などで

「1か月の加療を要する」との診断書が下され、

秋巡業は休場。

2015年11月場所では、

右膝の怪我が完治しない中強行出場するも

9日目の大関稀勢の里戦で4勝5敗と黒星が先行。

その後は12日目・豊ノ島戦で敗れるも、

13日目の横綱鶴竜戦で叩き込んで7勝6敗とし、

翌14日目に日馬富士と優勝を争った。

横綱白鵬を大相撲の末、寄り切り、ようやく勝ち越し。

結果9勝6敗で取り終えたが、

同2015年の年間最多勝(65勝25敗)は、

白鵬(66勝12敗12休)に僅か1勝届かず初受賞を逃した。

2016年1月場所、初めての休場

4日目の碧山戦で寄り切りで勝った際に

右肩を負傷した。

5日目の旭秀鵬戦では右腕が全く使えないまま寄り切られる。

翌6日目の栃煌山戦は不戦敗、

右鎖骨骨折(全治不明)により
自身初土俵以降初めての休場となった。

1月18日には以前から傷めている左膝の内視鏡手術を決行。

初めてのカド番の経緯

次の3月場所は、自身初の大関角番となった。

3月場所も膝の状態は完全ではなく、

中日までに平幕相手に3敗を喫する苦しい場所となったが、

12日目に鶴竜を下しなんとかカド番を脱出した。

しかし、その後は3連敗で8勝7敗で取り終えた。

・5月場所は膝の状態が3月場所よりも悪く、

初日から2連勝した後は格下相手に踏ん張りが
効かず6連敗となった。

二度目のカド番の経緯

続けて2横綱にも敗れ、10日目にして次場所での

2度目のカド番が決まった。

その後も連敗は続き1968年秋場所の豊山以来、

48年ぶりの大関1場所10連敗を記録した。

さらに翌日、大関の琴奨菊にも敗れ、

大関としては69年ぶりとなる同一場所での11連敗を喫した。

これは年6場所15日制定着後では初めての事態となった

(不戦敗、休場を含まない場合)。

そして11連敗の翌日。大関豪栄道に押し出され、

さらに大関の一場所皆勤13敗は2009年3月場所の

千代大海に並ぶ歴代ワーストタイ記録になった。

2度目の角番で迎えた翌7月場所は初日に白星を記録し

先場所からの連敗を止め、その後4連勝を記録した。

しかし、その後3連敗を喫した。

その後、8日目に豪栄道に勝利し連敗を止めるが

翌日から再び連敗。

11日目から白鵬に勝利するなど連勝するも

再び13日目[29]から連敗。

14日目の敗戦後そして、迎えた千秋楽で

魁聖に小股掬いで勝利し、

大関の地位を保持した。

三度目のカド番の経緯

9月場所は、初日に嘉風に黒星するも

その後連勝し隠岐の海に敗れたあと、

再び連勝と4勝2敗で白星が先行していた。

しかしその後7日目から長期連敗し、

この場所で幕内全勝優勝を果たした豪栄道等に

何も出来ずに負けるなど精彩を欠く相撲が目立ち、

12日目に碧山に押し出しで敗れ6連敗で負け越しとなった。

これにより来場所は自身3度目の角番となる。

また取組後、過去10戦全勝の碧山に何もできず負けたことについて

さらにそのまま連敗を続け、

横綱鶴竜に寄り切りで敗れ8連敗で10敗目を喫し、

結局千秋楽も立合い変化するも寄り切りで稀勢の里に敗れて

9連敗の4勝11敗で場所を終えた。

11月場所は2016年内で3度目の角番となるが、

同一年内に角番を3場所経験するのは、

2005年の魁皇と千代大海以来である。

10月14日の秋巡業豊橋場所では

高安、錦木、貴ノ岩と22番取って6勝と不調で、

特に高安には12連敗を喫した。

カド番脱出の経緯

11月場所初日は、

嘉風につり出しで敗れ大関で2度目の10連敗を記録した。

その翌日も敗れ11連敗まで記録は伸びてしまうが

3日目に隠岐の海に勝利しようやく連敗を止め、

その後復調し8日目には大関琴奨菊を危なげなく

寄り切りで倒すなど6連勝する。

さらに翌日も魁聖に上手投げで勝利で7連勝。

九州入り後は状態でも2敗をキープし

優勝争いに絡むも全勝だった横綱鶴竜に
敗れ連勝がストップ。

翌日の豪栄道にも敗れ優勝争いから脱落するも

12日目に横綱白鵬に勝利し勝ち越しを決め、

角番を脱出した。

だが、終盤3連敗しそのまま8勝7敗で場所を終えた。

この年の勝ち越しは全て8勝7敗で年間通じての

成績は33勝48敗9休勝率.407、

11連敗以上2回と膝の故障に苦しめられた年となった。

休場ありでの48敗はこの年

11月場所は力なく押し出される場面は少なく

「これだけ相撲取れるんだから、前よりはちょっとずつ良くなっている」と

膝の状態が上向いていることも証明した。

2017年1月場所も初日から連敗し、

先場所からの連敗は5まで伸びてしまうが

3日目に勝利しようやく連敗を止めるも翌日から再び連敗。

その後再び連敗を止めるとそこから3連勝を記録した。

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大関陥落の経緯

その後再び連敗し4連敗で12日目に負け越しが確定し、

これにより来場所は自身4度目の角番となった。

この場所は大関琴奨菊が角番で負け越しで大関陥落。

結局、その後も連敗は止まらず7連敗で
4勝11敗で場所を終えた。

大関11場所目で4回目の角番は最速記録。

4度目のカド番で迎えた

3月場所は初日から5連勝と好調で、

6日目に高安に敗れるものの9日目に勝ち越して
角番を脱出した。

11日目には2015年9月場所以来となる二桁勝利を記録した。

さらにその後も白星を重ね、

14日目には自己最多タイの13勝目を記録し、

優勝に王手をかけた。

千秋楽に、13日目に負傷している稀勢の里戦で勝てば

11場所ぶり2回目の優勝という、
絶対的に有利な立場にあったが、

左への変化こそ堪えたものの捕まえきれないまま
前に出たところに

繰り出された突き落としの餌食になってしまい、

優勝決定戦に持ち込まれた。
さらに優勝決定戦では、

手負いの相手に連敗して逆転されるという
悪夢のような展開で、

すぐそこまで迫っていた優勝は手からすり抜けていった。

リハビリ開始の経緯

場所後の3月31日、14日目の相撲で変化をして
勝ったことから

照ノ富士は優勝争いで古傷の左膝が悪化

場所後にモンゴルに帰国し治療とリハビリに専念し
4月17日の

東京・靖国神社奉納大相撲で春巡業に復帰した。

5月場所は初日から遠藤、玉鷲と連敗を喫した。

しかし、その後復調し8連勝するなど先場所から
続く好調を維持し

10日目には勝ち越しを記録した。

その後も連勝を続け10連勝を記録した。

しかし、この日の正代を破った際に
古傷の左膝を痛めてしまう。

翌日の出場さえ危ない状況だったが
12日目は栃煌山を右足一本で踏ん張って

小手投げで逆転勝利し自己最多タイの11連勝。

千秋楽は大関取りだった高安を小手投げで倒し

結局この場所12勝3敗の優勝次点で終えた。

2場所連続の12勝以上は
大関取りだった2015年以来となった

場所後に古傷の左膝の遊離軟骨を
除去する内視鏡手術を受けた。

7月場所は、初日から不調で連敗。

3日目に勝利するも再び連敗。

1勝4敗と苦しみ。5日目の4連敗中だった

小結琴奨菊戦の敗北した取組で
手術した左膝を再び痛めてしまい、

6日目から休場した。
6日目は正代戦は不戦敗。

詳しい症状は左半月板損傷
約7週間の加療であり、

来場所の出場さえ厳しいほどの重症であった。

また、来場所は歴代ワースト8位、

5度目の角番の経緯

自身5度目の角番となる。

照ノ富士は入院し夏巡業は全休。

9月場所の出場は無理と見られていたが
全休した夏巡業の間に

「1日3度の治療と2度のトレーニング」を繰り返し、

回復を進めた成果が出て「動ける体になってきた。

9月場所は5度目のカド番を東大関2で迎えた。

しかし、初日から連敗し不安視されている
膝の状態などは良いとしながらも、

怪我をする前の状態に戻ったことに体が
なれていないなどと言っていた。

3日目にようやく白星をあげるが4日目から再び連敗。

さらに5日目の取組で再び膝を負傷してしまう。

土俵下でも左膝を曲げられず帰りも
付け人に肩を貸してもらい、

記者に照ノ富士は前に出たときに痛めた

「膝がズレた」と呟いていた。

翌日になっても膝の炎症がおさまらず

「左膝半月板損傷で約2週間の加療を要する見込み」との

診断書を提出し休場した。

6日目の正代戦は不戦敗となった。

その後、同場所9日目の時点で大関で
2場所連続負け越しとなり、

14場所務めた大関から陥落が決定した。

大関陥落後

照ノ富士は来場所2017年11月場所に出場する場合は

大関特例復帰の10勝以上を目指すことになり、

八角理事長は「きっちり治せば2桁勝つ力はある。

とにかく膝を治すこと。四股を踏んで鍛えることだ」と
奮起を促した。

2017年10月19日に照ノ富士は秋巡業に合流。

大関から陥落したことに
「落ちたことはあんまり気にしていない。

自信を持っていく」
「休んでいても治らない。
付き合ってやるしかない。

やり続けたら自信にもなる。

大丈夫やろ!」と話していた。

27日の松江場所では朝乃山と三番稽古を行った。

途中、巡業部長の貴乃花からアドバイスも受けて
「ありがたいです」と感謝したが、

稽古では3勝4敗。最後の一番では左膝を気にし、

貴乃花の「無理するな」との声掛けもあって稽古を終えた。

2017年11月場所は初日いきなり黒星。

3場所連続で通算4度目の休場と平幕落ちが確定の経緯

そのまま連敗は伸び4連敗で5日目から日本相撲協会に

「左膝外側半月板損傷で全治4週間」との
診断書を提出し休場した。

照ノ富士の休場は3場所連続で通算4度目。

二桁をあげれば特例大関復帰だったがこの場所での

大関復帰はならなかった。

5日目の対戦相手御嶽海は不戦勝となった。

結局、千秋楽まで出場せず
負け越しとなり、平幕落ちが確定した。

東前頭10枚目まで番付を落とした2018年1月場所でも

身体の状態は悪く、
初日、2日目と幕内下位の力士を相手に

良いところなく敗れた。

1月16日に
「2型糖尿病、約1週間程度の療養を要す」との

診断休場届を協会に提出し、

3日目の大翔丸戦は不戦敗。

照ノ富士の休場は4場所連続となる。

4場所連続途中休場は幕内では史上初。

今回の休場理由は、
膝の怪我ではなく体調不良によるものであり、

再出場の可能性もある。

病状は2型の糖尿病であり、

18日にはインフルエンザにまで
かかってしまったという。

11日目より再出場したが、

12日目に大奄美に敗れた段階で、

十両陥落が確定

元大関の十両陥落が確定的となってしまった。

さらに13日目も敗北し、前年9月場所から

続く連敗が自己ワーストの14連敗になってしまった。

結局は千秋楽まで白星を挙げられず、8敗7休で終わった。

大関陥落からわずか2場所での十両転落

十両陥落後

3月場所は西十両5枚目で挑み、初日黒星。
膝の負傷と糖尿病のため体の状態は相変わらず

悪く医者からは
「怪我は大体治っているが糖尿病で体が元に戻るまで

半年と言われているけど、

人の2倍、3倍努力して3、4か月で戻したい」と語っていた。

皆勤したのは2017年の夏場所が

最後で最後に白星を手にしたのは

最後の大関を務めた2017年秋場所3日目の栃ノ心戦で

半年も白星から遠ざかる状態だが、

2日目の臥牙丸戦で白星をあげ、

連敗は17でストップした。

しかし14日目の貴ノ岩戦で負け越してしまい、

6勝9敗で終わった。

14日目の貴ノ岩戦はかつての兄弟子であった
日馬富士の傷害事件の被害者であっただけに、
取組の際には事件現場に居合わせていた

照ノ富士自身に事件当時の記憶を思い出させ、

照ノ富士は取組後に「相撲界に入って
一番、嫌な相撲だった」とこぼすほどであった。

元大関が幕下陥落の経緯

東十両8枚目で迎えた5月場所も3日目まで
白星を手にすることができず

4日目に左膝外側半月板損傷により休場

このまま十両残留目安の5勝を記録するため
再出場しなければ、幕下への陥落も避けられなくなり、

元大関が幕下陥落なら昭和以降初

(江戸時代の看板大関などのケースを除けば史上初)の

ケースで引退の声さえ出るようになってしまった。

そして、怪我をおして11日目から
再出場するも力なく敗れ、十両残留目安の5勝を
記録することが不可能になり

幕下陥落が濃厚となった。

結局この場所は再出場後も一つも勝てずに9敗6休。

不戦敗も含めて先場所から休場を挟んでの

13連敗で場所を終えた。

伊勢ケ浜親方は

「引退?そんなの全然ない」

「状態を見ながら年齢的にもまだ若い。

幕下に落ちたからと言って、辞めさせるとかにはならない」と

最大限やらせて答えを出すと話し、

前例がないことにも「関係ない。

ここまで怪我をした人がいないだけ」と語り、

左膝の痛みに加え、糖尿病に加え腎臓結石も
患っている状態に。「膝はだましだまし、
腎臓はやってみないとわからない」と

治療方針を示していた。

大関経験者初の幕下・三段目・序二段陥落の経緯

2018年6月25日に7月場所の番付が発表、

東幕下6枚目にしこ名が掲載され
正式に幕下陥落が決定した。

大関経験者、幕内優勝経験者が幕下に陥落するのは
これが初めて。

またこの日に
東京都内の病院で両膝の手術を受けた。

師匠の伊勢ヶ濱親方(63代横綱・旭富士)は
再起を目指す意向を明言しているが、

この手術により7月場所を全休することを表明した。

そのため9月場所は東幕下47枚目まで番付を落とし、

自身の持っていた元大関の最低地位の記録を
大幅に更新する形となった。

西序二段48枚目へと陥落の経緯

更にその9月場所も初日からの休場を表明。

元大関・幕内優勝経験者の幕下陥落で
既に前代未聞のところ、

9月場所も全休したため、

翌11月場所では三段目(西27枚目)へと
陥落してしまった。

その11月場所でも全休を表明。

次の2019年1月場所での復帰を見据えて
治療とトレーニングを行っていたが、

その西三段目88枚目まで番付を落とした
2019年1月場所でも全休
(休場は5場所連続、全休は4場所連続)することになり、

翌3月場所で西序二段48枚目へと陥落した。

序二段陥落は大関はおろか三役経験者としても
初めて。

3月場所から土俵復帰し、

その天風との取組では、天風が出たところを

小手投げで転がして連勝をもぎ取った。

因みに幕内経験者同士が序二段で対戦するのは、

昭和以降史上初である。

その後、4番相撲となった7日目の
寺尾翔戦に勝利し、4連勝で
2017年5月場所以来の勝ち越しを決めた。

5番相撲では復調を確認しようと
35秒の長い相撲を試し、危なげなく白星。

6番相撲は速攻相撲を心掛けて4秒で白星を決めたが、

稽古が満足にできておらず
「腰が下りていない」と本人は振り返った。

元大関であるにも関わらず序二段まで番付を下げても

なお現役続投を選んだ背景には
年寄名跡取得へ帰化申請中という事情があるとする
報道もある。

最終的に7戦全勝で締めくくり、
狼雅との優勝決定戦に臨んだが、敗れて優勝を逃した。

関取復帰の経緯

東三段目49枚目で臨んだ翌5月場所は、

中日の4番相撲で大翔成に逆転で押し出される
黒星はあったが、

他は全て勝って6勝1敗で取り終えた。

東幕下59枚目へと番付を戻した7月場所では、

11日目の6番相撲で、3月場所の優勝決定戦で敗れた

狼雅を極め出しで破って雪辱を果たすなど、

4日目の2番相撲に大野城に敗れた以外は全て勝って

6勝1敗で場所を終えた。

9月場所は東幕下27枚目で、初日から6連勝で来たが、

13日目の7番相撲で幕内経験者千代の国との
6戦全勝対決に敗れ、幕下優勝はならなかった。

11月場所4日前の11月6日にはそれまで
1年以上できなかった相撲を取る稽古を行っていた。

時津風部屋での出稽古で
幕内の豊山、錦木、正代を10番取って10連勝と
絶好調をアピールし、

さらに
「(東京)オリンピック前に幕内に上がりたいんだ」と

抱負を語った。

11月場所は西幕下10枚目で7戦全勝優勝となり

幕下優勝を飾った。

さらに来場所の関取復帰を決めた。

日本相撲協会は11月27日の番付編成会議で
照ノ富士の10場所ぶりの関取復帰を決定した。

大関経験者の序二段からの関取復帰は

史上初、照ノ富士は「改めて気が引き締まる。

照ノ富士の取り口の説明

照ノ富士は2015年2月の健康診断時の公式測定で

180kgに達しており、

モンゴル人力士としてはかなり
重い部類に入る体重を活かした
寄りが得意手である。

基本的に正攻法の寄りに徹し、
右四つに組み止めて左上手を引き付けて
胸を合わせる相撲が照ノ富士の型でもある。

一方で上手投げも得意としており、

慎重な相撲ぶりから引き技にも強いが

一方で裏を返せば引っ張り込む癖や
立合いが甘いという弱点を持っているとも言える。

相手十分の体勢を許しておきながら、

腰の重さで凌ぎ、

そのうちに自分の体勢にもっていくのが巧い。

2014年1月場所後に照ノ富士が

「下がってからという感じで、
自分から一気に攻める相撲が全然なかった」と
振り返るように積極性を欠く部分もある。

また、右四つからの寄りのほかに極め出しも
得意としており、

2015年3月場所の豊ノ島戦などで
極め出しで決めている。

その引っ張り込む相撲は、

鳥取城北高時代からの取り口である。

しかし大関昇進後は大きい相撲を取ることや
攻めの遅さなどから

鎖骨、膝などの怪我に襲われており、

高崎からもそれを指摘されている。

それでも膝の調子が良ければ
全盛期ほどとは行かないまでも

良い内容の相撲を取れることがあり、

2016年以降は怪我が多いため抱え込んで

勝つ相撲は少なくなり、

手堅く勝つには左の上手廻しが欠かせなくなっている。

実際のところ、2017年3月場所12日目の

遠藤戦を終えた後の支度部屋では

「(上手まわしが)かかってなかったら、
危なかったかもしれない。

一瞬、持ち上げて崩れたから、

足をかけた」と話していた。

照ノ富士の趣味・嗜好

子供の頃から歌や踊りが好きな

目立ちたがり屋であり、

演劇発表会で主役を務めるなど
元来より社交的であった。

照ノ富士の母の談話によると

「旭天鵬関のように、だれにも優しくて、

親切で、温厚な、ああいう
お相撲さんになってもらいたい」と

期待されていた。

食べ物の好物は牛タン。

嫌いなものはカレーライスと生魚。

大関昇進に際したテレビの特集ではカレーは

見た目が嫌いだと答えている。

お化けが怖く1人部屋を拒否したこともある。

・まとめ

今回は、元大関から陥落した照ノ富士関が

十両まで復帰した内容をまとめて見ました。

大相撲の力士は、怪我との戦いが

相撲の勝負よりもキツイスポーツらしく

これらの苦労を克服して、関取として

カンバックしたのは素晴らしいと思いました。

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