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高安関の出身地は?両親の国籍、職業は?兄弟はいるの?

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大相撲の大関に君臨している高安関がう横綱を目指して
頑張っている姿を見るのが楽しみです。
しかしながら、大関昇進後の17年度は、まだ一度も二桁の勝利には
届いていないのが残念です。
18年度は4度にわたり10勝以上の勝ち星をあげており、
着実に実力を高めている様子は期待できますね!
高安関は何度も体調を壊しながら突進していますので
今回は高安関のプロフィールや来歴と取り口について
調べてみました。




高安 晃のプロフィール

高安 晃
(たかやす あきら)
所属部屋 田子ノ浦
本名 高安 晃
しこ名履歴 高安
番付 大関
生年月日 平成2年2月28日
出身地 茨城県土浦市
身長 185.0cm
体重 178.0kg
得意技 突き・押し

高安関の来歴

父が日本人、母がフィリピン人という家庭に高安は生まれる。
土浦第一中学校では野球部に所属し中堅手として活躍していた。

子供の頃は野球少年で、
小学校4年生からリトルリーグに所属していたのだが
一時は、野球とカードゲームに没頭するが

父のアドバイスで
「横綱の部屋に預ければ運が良ければ関取になれるかも」と
考えた父は「見るだけ」と言って高安を車に乗せると
アポなしで鳴戸部屋へ向かった。

高安はその時「絶対に嫌だ!」と見学を拒絶していたが
「身一つで稼ぐ方が性に合う」と結論を出し、

父の勧めもあり中学卒業と同時に鳴戸部屋に入門し、
2005年3月場所において初土俵を踏んだ。

中学卒業を前に興味本位で訪れた鳴戸部屋で、
当時の師匠に、長所を褒められて、入門を決意

入門時で既に180cm・120kg、足の大きさ33cmの恵まれた体格であった。

しかし、鳴戸部屋は昼過ぎまで稽古が行われるなど厳しい環境であり、
入門前の陽気さは消えていったのである。

鳴戸部屋の厳しさに耐えられずに都合10度位にわたって
脱走したことがあり部屋があった松戸から土浦まで6時間自転車を漕いで
実家に逃げ帰っていた。

高安がこれ以上脱走しないように鳴戸に対して部屋の
力士らにかわいがりを控えるように土下座して懇願したが、

脱走を繰り返していた頃は稀勢の里にも相手にされず、
なかなか稀勢の里に指導してもらう機会が無かった様です。

転機となったのは2006年に父が腎臓がんを患いで腎臓を
1個摘出する大手術を受けて

経営していた飲食店を手放したことで高安も頑張る決意を新たにした様です。

ある時期自分の付け人に高安を指名して、

手取り足取り相撲のことを叩き込まれ

三段目の上位まで番付を上げた頃、

初めて稀勢の里に胸を出してもらったが、

その時の感覚を後に高安は「何回ぶつかっても下がらない。
全身の関節一つ一つがミシミシ来るような重さを感じた」と振り返っている。
こうした稽古を含め、1日100番を超える稽古で強くなっていったのである。

2010年9月場所では、
西幕下13枚目の位置で7戦全勝の成績を挙げて
幕下優勝を果たし、
内規により翌11月場所において新十両へと昇進し、
舛ノ山(千賀ノ浦部屋、高安と同じく日比ハーフ)と共に、
平成生まれでは初となる関取力士となった。

新十両昇進を決めた直後の10月15日の秋巡業土浦場所では
白鵬に胸をかしてもらった。

この日の白鵬は関取衆では最も多い18番を取って17勝1敗であったが、

1敗は高安につけられたものであった。

新十両で迎えた翌11月場所では、
11勝4敗という好成績を挙げ、
東十両3枚目の位置まで大きく番付を上げた

翌2011年1月場所でも、9勝6敗と勝ち越し、
続く5月技量審査場所でも東十両筆頭の位置で
8勝7敗と勝ち越しを決めて、
翌7月場所において新入幕を果たした

父の強い勧めもあって、しばらく四股名は本名の「高安」のままでいく。

新入幕となった2011年7月場所では
8日目の時点で7勝1敗と非常に好調で、
後半戦では黒星が込んだものの最終的には
9勝6敗と勝ち越した。

幕内4場所目となる2012年1月場所では
西前頭3枚目まで番付を上げ、
8日目には横綱・白鵬と対戦し、
平成生まれの力士としては初めて結びの一番を務めた。

同年5月場所では、自己最高位となる西前頭筆頭へと
番付を上げたが、5勝10敗と大きく負け越した。

翌7月場所でも、初日から8連敗と振るわず、
後半には盛り返したものの6勝9敗と負け越した。

翌9月場所では、初日からの8連勝で中日に勝ち越しを決め、
勝てば敢闘賞受賞が決定していた千秋楽の舛ノ山戦に
敗れて三賞受賞はならなかったものの、10勝5敗という好成績を挙げた。

2013年1月場所では、
6日目から9連勝して10日目に勝ち越しを決め、
12勝3敗の好成績を挙げて自身初となる敢闘賞を受賞した。

翌3月場所では3日目に横綱・日馬富士を破り自身初となる
金星を獲得したものの、
結果的には5勝10敗と大きく負け越した。

続く2013年7月場所では、3日目に横綱・日馬富士を
上手捻りで破り2個目の金星を獲得し、

その後も5日目に鶴竜、6日目に琴欧洲の2大関を破って
9勝6敗と勝ち越し、初の殊勲賞を受賞した。

翌9月場所では小結へ昇進し、
平成生まれ初の三役力士となった。

しかし、その場所では横綱・大関陣からは

白星を挙げられず(琴欧洲の不戦勝を除く)、
5勝10敗と大きく負け越した。

翌11月場所は番付運に恵まれて
わずか2枚半下降の東前頭3枚目の地位に就いたが

ここで3勝12敗の大敗を喫してしまう。

2013年末には
師匠の14代鳴戸(隆の鶴)が田子ノ浦に名跡を変更したことに
伴う部屋移転に追われる苦労を味わった。

田子ノ浦部屋の力士として迎えた

2014年1月場所直前の2014年1月2日には、
木刀を振るという独特の調整法を
実践している様子が伝えられていた。

1月場所は終盤4連勝する追い上げもあって
9勝6敗の勝ち越しとなった。

同年5月場所を東前頭8枚目での6勝9敗で終えた。

高安関は千秋楽の翌日に「優勝争いに絡みたい」と
心機一転の為、母の故郷・フィリピンへ出掛けた。

西前頭11枚目の地位で迎えたその7月場所は、
2012年9月場所以来となる中日勝ち越しを果たし、
三役以上との対戦が、大関・琴奨菊ただ1人に留まった有利もあって
優勝争いに最後まで加わるも、
千秋楽の取組を終えて11勝4敗となった時点で、
12勝3敗同士の優勝決定戦に望みをつなぐことは不可能となった。

結局、優勝は13勝2敗の白鵬が勝ち取ったものの、
2013年1月場所以来となる2ケタ勝利を収めた上に、
敢闘賞を獲得する活躍を果たすことができた。

東前頭3枚目の地位で迎えた11月場所は
白鵬に初めて勝利して唯一の黒星を付けた 他、

日馬富士・豪栄道と2横綱1大関を破る活躍で
10勝5敗の好成績を挙げ、
2つの金星が評価されて2度目の殊勲賞を受賞した。

2015年春巡業のトーナメント戦では、
優勝を果たして賞金100万円を手にし、
これで弾みが付いたのか、
直後の5月場所では10勝5敗の勝ち越しを収めた。

同年9月場所では、2日目に大関・豪栄道を撃破する星があったが、
3日目の逸ノ城戦で左足を負傷し、
「左下腿筋挫傷、左足関節靱帯損傷で
約3週間の安静加療を要する見込み」との
診断書を提出して
4日目から途中休場(この日の栃煌山戦は不戦敗)、

これが自身初の休場となった。

休場明けとなる翌11月場所は、
場所前に稽古ができなかったと本人が語っていたが、

9日目に勝ち越すなど好調であった。

しかし10日目以降は13日目以外白星を挙げられず、
終盤の失速により9勝6敗にとどまった。

大関取りへ
2016年7月場所は、再小結で11勝4敗の好成績を挙げ、
自身初めて技能賞を受賞した。

翌9月場所は新関脇に昇進
一時は優勝争いするなど好調だったが終盤3連敗してしまい
10勝5敗で場所を終えた。

しかし翌11月場所は大関取りの場所となり、

10月14日の秋巡業豊橋場所では照ノ富士と三番稽古をして
12連勝と好調を示した。

しかし11月場所は6日目までに3敗、
後が無くなったが中日の4敗目でこの場所での
大関取りに失敗。

さらに10日目には6敗目を喫したことで大関取りを
次の場所に持ち越すことが不可能になった。

そして中日から連敗が5になり、12日目に負け越し、
関脇からの陥落を確定させた。

それでも13日目から残りをすべて勝って
7勝8敗と意地を見せた。

12月9日の冬巡業天草場所では
千代の国、正代、佐藤(現・貴景勝)、栃煌山、豪風、輝を
相手に12番取り8勝4敗、

佐藤(現・貴景勝)の突き押しに動き負ける場面が見られると伝えられた。

2017年1月場所
再び東小結で白鵬、鶴竜の横綱2人と照ノ富士、豪栄道、琴奨菊の
大関3人を倒す活躍を見せる。

最終的には11勝、自身4度目の敢闘賞を受賞した。

3月7日の田子ノ浦部屋の大阪場所の稽古場で30番連続で相撲を取って、
横綱・稀勢の里と9勝14敗、

出稽古に来た幕内・嘉風に6勝1敗と充実の稽古を行った。

3月場所は関脇復帰
初日から同部屋の横綱・稀勢の里と共に10連勝。

同じ部屋の力士による初日からの10連勝は、
2004年3月場所の高砂部屋の横綱・朝青龍と当時平幕の
朝赤龍以来13年ぶり。

15日制定着後、同部屋の2関取のみが
10戦全勝で並ぶのは史上初である。

しかし11日目から3連敗。
それでもこの場所は12勝3敗で殊勲賞を獲得

4月21日、父親の出身地であり自身も幼少期に数年間住んだことがある
茨城県水戸市での春巡業に参加。

5月場所前の5月2日には
「初日から堂々とやって全勝を目指す」と強気の発言。

2017年5月28日、5月場所を11勝4敗で終え34勝を記録し、
取組後、12代二所ノ関(若嶋津)審判部長が高安の大関昇進を議題とした緊急の臨時理事会を要請したと発表。

大関昇進が確実となった。

5月31日、高安は大関昇進伝達式で
「大関の名に恥じぬよう、正々堂々精進します」と
力強く口上を述べた。

大関昇進後
6月5日に本格的な稽古を再開。 
本人によれば3日も稽古場で軽く汗を流したという。

5日は相撲を取らず、すり足をしたり、若手に胸を出したりした。

当面は基本運動や体幹強化に努める方針で
「激しい稽古をしても、壊れない体をつくりたい」と説明した。

5月の夏場所千秋楽で大関・照ノ富士の小手投げに屈した際に
右肘を痛めたが「もう治った」と問題がないことを強調していた。

6月26日に7月場所の番付発表がされ、
番付上に大関として高安の名前が載った。

初土俵から所要73場所での大関昇進はこの時点で
史上9位のスロー記録である。

7月場所の目標としては「ここから上(横綱)を目指すには優勝が必要になる。
しっかりと15日間、堂々と相撲を取って優勝したい」と語った。

7月場所は3日目の11日に、
実際10日目に勝ち越しを決めるなどここまでは順調であったが、

11日目から14日目まで黒星続きと途端に崩れた。
千秋楽の豪栄道戦では勝って連敗を4で止めたが、
9勝6敗とやや振るわなかった。

なお、この場所の初日には初顔の北勝富士に敗れており、
2009年11月場所の日馬富士(対嘉風)以来昭和以降4回目となる
新大関の初日に初顔に敗れた記録となった。

この日には豪栄道、照ノ富士も相次いで敗れており、

2017年8月2日の夏巡業富山場所では
体調不良で稽古土俵に上がらなかったものの、

19日の札幌場所では錦木と、時間の関係でストップが
かかるまで計16番の三番稽古を行った。

前日は阿武咲と相撲を取るなど横綱、大関陣でただ1人、
連日の稽古。

9月場所は初日白星。

しかし2日目の玉鷲戦で玉鷲の激しい突き押しに防戦一方となり、
半身になって右足一本で土俵に残ろうとした際右太ももを痛めた。
高安は負けて礼を行おうと土俵に戻ったが
既にこの時は足を引きずっており、
その後車椅子で相撲診療所へ向かった。

その後、高安は「右大腿筋群損傷」の診断書を相撲協会に提出して休場、

3日目の北勝富士戦は不戦敗。

秋巡業を全休した高安は、
その間に治療と並行してトレーニングを行った。
ギプスが外れて松葉づえなしで歩けるようになったのは
10月上旬である。

10月31日、福岡県大野城市の田子ノ浦部屋の

九州場所稽古場で稀勢の里と稽古を行い、

1勝10敗と稀勢の里の復調を印象付ける結果となった。

大関3場所目でいきなり角番となった高安だが
「気楽にやる。切羽詰まってやると、自分の相撲が取りきれない。
今場所がダメなら来場所、という気持ちでやる」といい、
今後は出稽古も見据えて調整していく方針を示した。

11月場所は初の角番だったが3日目の阿武咲戦で
相手が足を滑らせる幸運な白星を収めたこともあって

11日目に勝ち越しを決める。

しかし12日目の取組で負傷。

13日目から
「右内転筋筋損傷で3週間程度の加療を要する」との診断書を提出して
休場した。

13日目の豪栄道戦は不戦敗。

田子ノ浦によると
「先場所と同じところを痛めた。歩くことはできるものの、
相撲を取るのは厳しい。
最後まで出てほしかったが、ここでけがが長引いて悪化したらいけないと
判断した」という。

大関としての真価が問われる2018年1月場所は
7日目まで4勝3敗と前半もたついたものの、
残りを全て勝って12勝3敗と自身初となる大関での
二桁白星を果たすと同時に2差だが優勝次点を記録。

続く3月場所は初日から連敗してしまうも

その後12日目まで連勝し、2敗で優勝争い。

しかし12日目に千代丸に敗れ連勝がストップ。
優勝を逃してしまう。

しかし、その後は再び連勝し、
千秋楽は取り直しとなった一番で横綱・鶴竜を倒し、
12勝3敗で2場所連続の優勝次点を記録した。

4月3日の春巡業堺場所では
三番稽古で阿炎、正代、関脇・御嶽海と計12番取って11勝。

5月場所は、初日より
「左上腕三角筋部分断裂で約3週間の安静と加療を要する」との
診断書とともに休場を届け出た。

2度目の角番で迎えた7月場所は、
立ち合いの馬力が戻っておらず序盤で黒星を喫し、

12日目に勝ち越し、9勝6敗で終えた。

9月場所では初日から7連勝するが、
1敗で迎えた11日目、
全勝の白鵬に敗れると終盤失速、11勝4敗。

11月場所は平幕に2敗したものの好調で優勝争いを展開。
14日目に1差で追う貴景勝を破り2敗で並ぶ。
しかし千秋楽は御嶽海に長い相撲の末敗戦。
惜しくも優勝を逃すことになった。

2019年1月場所は、9日目を終えて4勝5敗であったが
終盤巻き返し、9勝6敗。

場所後の2月10日に行われた大相撲トーナメントで初優勝した。

3月場所は、3日目に黒星も、安定した相撲内容で、

9日目に勝ち越し。

その後、横綱・鶴竜からしか白星を挙げれず失速したものの、

2場所ぶりの2桁白星となる10勝5敗で場所を終えた。

千秋楽に腰を痛めたため、途中から参加する運びとなった。

4月18日の春巡業足立場所では栃煌山と三番稽古を行い、

5勝4敗とあまり調子が上がらなかった。

26日の青梅場所では逸ノ城との三番稽古で
7勝1敗と調子を上げた。

今回は、高安関の最近の来歴について調べた結果です。



高安関の取り口など

基本的に突き押しを得意としており
13代鳴戸からは、入門当初より
「当たってひたすら突っ張れ」と教え込まれた一方で、
左四つからの寄り身も強みである。

差し手の返しが多少甘くても、胸を合わせて体力で押し込む場合が多い。
前述のように上手捻りも得意としており、
投げは左四つになれば上手からでも下手からでも出る。
攻めが速いので出足が鈍い力士には相性が良い。

豪栄道との対戦成績は19勝11敗(不戦勝、不戦敗各1を含む)と

大きく勝ち越しており、

2013年7月場所に初黒星を喫するまで豪栄道には初顔から6連勝していた。

足腰は堅いが上体は柔らかく、

鳴戸は2016年11月場所前の座談会で

「ちょっと力が上に抜けてやりづらい相手でしたね。
突っ張っても力が上に逃げてしまうというか、
ほかの力士にないものを持っていますね」

高安の体質について現役時代の取組の感想と共に話している。

2016年11月場所前には左四つ一本の力士になろうと決めたが、
実際に左四つ中心の相撲を試して負け越したため諦めている。
叩きも上手く、無理して攻める相手にはいなしてタイミングよく
落とすことが多い。

2017年7月場所前のコラムでは

舞の海が「夏場所(2017年5月場所)の高安は、

叩きが多かったことで、やや批判的な声もありますが、

自分はあまり悪い印象はないですね。高安の叩きは苦し紛れではなく、

馬力で圧倒しておいての引き技なので、危なげがないです。

それだけ馬力、押し込みが強いとも言えます。

相撲は押して勝つ、寄って勝つですが、
バランスの崩し合いなんです。

たとえばはたき込みだけで8番勝ったとすれば、
それはもうその力士の芸なんですよ(笑)」と評価している。

大関候補に名乗りを上げてから
本人は「突っ張ってから展開する相撲が合っている」と考えるが、
実際は突っ張りだけで勝負が決まることも増えている。
強烈なかち上げや、突き、押しを軸に大関の地位を手に入れたが、

昇進直後の記事では
「これまでやってきた自分のスタイルを強化していく」と力強く言い切った。
2017年9月場所前の座談会では

西岩(元関脇・若の里)が「コンスタントに二桁白星を挙げるには、
上体が伸びあがるようなかち上げはやめたほうがいいと思います。
かち上げはいいと思うんですよ。
ただ、膝を曲げてもっと低い体勢からいってもらいたい」と

話している。

一方で、腰高で脇が甘いので守勢に回ると脆く、

特に差し身の上手い相手には苦労しており、

諸差し(もろさし)からの速攻を得意とする栃煌山は大の苦手で、

対戦成績は8勝20敗(不戦敗1を含む)と大きく負け越している。

また、機動型の力士も苦手としており、稽古場では

兄弟子の隆の山を苦手としていた。

2017年5月場所前の時点では、
稽古場で稀勢の里と三番稽古を行うと五分近い割合で勝ち、
時には勝ち越す日もある。

大関昇進直前の時期になると立合いでもたついて
守勢に回っても巧さで勝つことが増え、

2017年5月場所12日目の宝富士戦などは左下手を取られかけ、

とっさに右から上手で振り回し、俵を前に一瞬2人が

横並びになったところで懸命に右上手投げを決めた。

2017年7月場所後の

座談会では錣山が
「上体が起きたかち上げなので、みんなが覚えてきたら
中に簡単に入れます。
栃煌山戦もそうですし、そっくり返ってかち上げるので
中に入りやすいです最も体を丸くして前傾姿勢でかち上げていけば、
また別な高安を見ることができると思います」


前途を案じつつ助言を行っており、

さらに叩きが増えたことも指摘している。

阿武松も同調するかのように、
突っ張りが減ったことを指摘している。

2017年8月10日の日立場所では白鵬から
「左の使い方を工夫するように」とアドバイスを受けている。

2017年9月場所前の黒姫山のコラムでは
「高安は稀勢の里と違って左を差して十分ではない。
左四つになって右上手を取って初めて十分な体勢になる。
かち上げから突き放して相手を起こし、
左四つに組み止めるという攻めをもう一度、磨き直してほしい」と
言われている。

2018年1月場所後の記事では、
藤島(元大関・武双山)から
「。立ち合いの体当たりからの馬力はすごいが、
上を狙うには違う立ち合いも身につけることだ」と意見されている。

四つになると捻りを含めて器用さを見せるが
たまにその器用さが裏目に出て敗戦を喫することがあり、
甲山(元幕内・大碇)がその点を指摘している。

実際に2017年3月場所などは前捌きに頼った
四つ身の相撲を取ったことが裏目に出て

11日目から3連敗しており、
阿武松(元関脇・益荒雄)は場所後の座談会で高安に対して

「終盤戦は相手を見るようになり、そしてさばく守りの相撲でした。
何をやっているんだという感じの相撲になりました。
もっと突っ張って攻めるべきです」

と注文を付けている。

とはいえ器用さが白星を生むことも事実であり、
実際に2017年5月場所5日目の遠藤戦などは、
下から両手であてがって起こそうとしたが「起こしきれない」と判断すると、

相撲内容を瞬時に変更、

前に出ていた圧力を利用しながら左を差し、
まわしを取って胸を合わせる相撲で寄り切った。

メンタルが強い印象を持たれることがあり、
雷(元小結・垣添)などが2017年3月場所前の座談会で
「あの大一番(2017年1月場所の白鵬戦)でむしろ、
楽しんでいる印象すらある。
表情を見ていても、硬くなっている感じは全くしない」と話している。

星取表に現れる特徴としては、
序盤の出遅れが目立つ

大関昇進に近づくにつれて体重が増えた影響なのか、

2017年7月場所後の武蔵川のコラムでは
スタミナ不足を指摘されるようになり、

そのコラムでは

「13日目の白鵬戦なんて、途中から息が切れてるんだもの。
どこかの幕下力士かと思ったよ」

と酷評された。

2018年1月場所では相手を受けてからどうにかする相撲に終始し、
やはりスタミナ不足により長期戦で疲れて
相撲が雑になることで星を落とした。

高安関の両親の国籍、職業は?

ご両親ですが国籍はお父さんが日本人で、
お母さんはフィリピン人ということです。

お父さんは高安栄二さんという名前で、

以前複数のエスニック料理店を経営していたそうですが、
自身の病気のため断念し、店を閉めたとのことです。

現在は特にお仕事はされていないようです。

一方、お母さんはビビリタさんという名前で、
特に職業にはついていないようですね。

そんな多くの温かいファンによって応援されている高安関です。

やはりそこにはあの人懐っこい高安関があったればこそではないかと思います。

序盤での下位力士に対する取りこぼしが目立っていますが、なんとか踏ん張って中盤や終盤まで優勝争いに加わって、できれば先頭に立つぐらいの勢いで勝ち進んでほしいと思います。

さらに大関の位置で二場所連続優勝をぜひ取って、久しぶりの日本人横綱として「土俵入り」を見せていただきたいと強く念願しています。

まとめ

高安関は横綱に向かって邁進していますが
残念なのがまだ初優勝がありません。
今回は、高安関のプロフィールと来歴や取り口について調べてみました!
その他に、両親の国籍、職業にも調べてみました。
最近では大相撲の世界の力士の皆さんの中には国際的になってきていますね!
その中でも今回紹介した高安関もお父さんは、日本人であり
お母さんはフィリッピンの出身のかたでした。
然し、残念なのは、横綱には日本人がいないのが残念です。

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