嘉風の体重と年齢は嫁や娘はは子供は何人 所属部屋と年寄名跡は?

最近人気が上昇中の嘉風は、あまり強くはないけれど
地道に若々しい相撲が印象的な人気力士です。
嘉風の年齢も現在35歳になり、力士の中でも古参に成りましたが
一男一女の父として目下活躍中です。
今回は、嘉風が大相撲の場内を沸かせる訳はどこにあるのかに
ついて解説して行きたいと思います。




嘉風のプロフィール

四股名 大西 雅継 → 嘉風 雅継
本名 大西 雅継
愛称 マサツグ
生年月日 1982年3月19日(37歳)
出身 大分県佐伯市
身長 177cm
体重 148kg
BMI 47.24
所属部屋 尾車部屋
得意技 突き・押し

嘉風の四股名は「 嘉風」です。
現在は西前頭六枚目で頑張っています。
しかも年齢も37歳ですね

最近の戦歴は
平成三十一年三月場所 では西前頭十二枚目  10勝5敗
平成三十一年一月場所 西前頭五枚目 3勝12敗
平成三十年十一月場所 西前頭四枚目 7勝8敗
平成三十年九月場所 西前頭十五枚目 11勝4敗
平成三十年七月場所 西前頭五枚目 2勝13敗
以上の様な戦績です。

戦績を見てみると10勝の前は3勝であったり7勝であったり
時には11勝の時もありますので場所によってバラつきがありますね!
やはり一般論ですが年齢が関係しているかも知れませんね

所属部屋は尾車部屋に在籍しています。
尾車部屋
所在地 〒135-0024
東京都江東区清澄2-15-5
師匠の尾車 浩一は 現在日本相撲協会の理事を務めています。
本名 中山 浩一
生年月日 昭和32年4月26日生
出身地 三重県
生涯戦歴 561勝352敗102休
受賞歴 優勝2回/殊勲賞3回/敢闘賞2回/技能賞1回

嘉風関は結婚してる?妻や子供について

大西 愛さんは、1978年12月26日生まれの38歳
出身地は大阪府守口市出身
奥さんは、嘉風よりも3つほど年上です。

最近では好成績で頑張っている嘉風関ですが、
既に結婚されています。

嘉風は2008年12月に、大阪府出身の愛さんは、
航空会社や高級ブランド店で働いていた経験があり、
結婚した時はフラワーアレンジメントの講師をしていたようです。

嘉風は、大学時代にアマチュア横綱のタイトルを獲得している
相撲経験者ですから、
入門の翌年には十両入りして給料をもらえる立場にありました。

経済的にも安定しているので当然結婚には抵抗が無かったのでしょう

二人の出会いは2005年、知人の紹介で知り合った様ですが
しかしながら、なかなかプロポーズの言葉を口に出せずに、
遊園地の観覧車に3周くらい乗ってやっと言えたそうなという
ほほえましい話がネット上に伝わっております。




結局二人は2008年12月22日に婚姻届けを提出しました。

結婚式の時には花嫁の腕に生まれた赤ちゃんが
抱かれていましたのでできちゃった婚かも知れないのです

嘉風は、九州場所で敢闘賞を受賞し、
その時の賞金200万円でダイア1カラットの結婚指輪を
プレゼントしたようです。

二人の間には、お子さんが二人います。
長女の梨愛(りな)ちゃんと、
弟の凌聖(りょうせい)君。

嘉風は子供達から力をもらっているようですね!

そして実は、悲しい話ですが
もう一人次女の恵怜奈(えれな)ちゃんがいたそうですが、
乳幼児突然死症候群で亡くなったそうです。

子煩悩な嘉風夫婦の悲しさは並大抵ではなかったでしょうね!

嘉風の年収は

嘉風の年収にを計算して予測して見ました。
この年収は日本相撲協会から支払われるのですが
金額が地位によって厳格に定められている月給に加え
ボーナス・諸手当・報奨金・懸賞金などが支給される仕組みになっています。

2017年の嘉風の番付は1月場所と3月場所では、平幕(前頭)であり
5月場所と7月場所では、関脇でしたので

嘉風はこれまでのところ年に2場所以上務めたことがないので
仮に2017年9月場所以降嘉風が平幕とすると

2017年の嘉風の月給の合計は
130.9万円(平幕)×8か月+163万円(関脇)×4か月=1724.4万円となります。

さらに、9月と12月にはボーナスも支給されますし、
諸手当や報奨金や懸賞金なども加算されます。
2017年は幕内以上をキープしていますので
嘉風の報奨金と懸賞金はかなりの金額が予想されます。

その他に金星をこれまで通算6個も獲得していますので
金星一つにつき年収は24万円増額になる計算になります。

しかも、この金額は、現役中ずっと継続しますから
それだけで、年間144万円の収入アップになります。

そのほかにも、技能賞も獲得していますからその賞金200万円も
年収に加算されるのです。

その他に後援会の皆さんからの援助もたんまり頂けるでしょうし
その他に、テレビや広告への出演料もかなりの金額になるでしょう

これらを全て方形してみると2017年の年収は3500万円以上
あるように計算上では予想されます。

まとめ:嘉風の体重と年齢は嫁や娘はは子供は何人 所属部屋と年寄名跡は

嘉風の身長と体重は
身長 177cm
体重 148kg
ですが、力士の中では小柄の力士の部類に入るのではないでしょうか

この様な小柄な力士でも大相撲の中で大いに技量を発揮して
頑張ている嘉風は当然人気が沸騰するのは間違いなさそうです!

嘉風は2005年に嫁さんと出会い、2008年12月22日に
結婚して素晴らし結婚生活を営んでおられます。

しかし、結婚後可愛いお子さんを失う悲しい経験もしましたが
現在は嫁さんや可愛い二人のお子さんの応援が力になり
その他に所属している尾車部屋の親方の尾車さんのご指導も
力になって今後も年齢を乗り越えて昇級して行かれることに
期待したいと思います。

嘉風頑張って下さい!!


逸ノ城の体重が減り、成績と年齢 ?部屋の親方の情報満載!

逸ノ城がダイエットして好調に成って来ましたね
今後が大変楽しみに成って来ました。
今回は逸ノ城がダイエットの効果を生かし
何処まで昇進できるのかが楽しみです!
今回は逸ノ城が26歳を迎え果たして大関に昇進できるのか?
そして稽古をつけてくれる部屋の親方の情報を
調べてみました。大相撲観戦のファンの皆様の参考に
して頂けたら幸甚です。

プロフィール

逸ノ城 駿
(いちのじょう たかし)
所属部屋 湊
本名 アルタンホヤグ・イチンノロブ  
しこ名履歴 逸ノ城
番付 関脇
生年月日 平成5年4月7日
出身地 モンゴル・アルハンガイ
身長 193.0cm
体重 227.0kg
得意技 右四つ・寄り

逸ノ城関は生粋の遊牧民出身です。

この遊牧民出身力士は大相撲では始めてらいいのですが

モンゴルでは、弟と妹と共に自宅のゲルから20キロ離れた学校のある村の
ゲルで共同生活を送ったり、馬に乗って走るったりして
身体を鍛えてきたことによって足腰が相当強く鍛えられています。

逸ノ城の性格は、何かに取り掛かったら徹底して行う性格です。

この様な性格なので、果たして相撲にはどのくらい徹底して
勝負に取り組めるのかが楽しみです。

ジャンキーな姿と、かわいい笑顔が今注目です!

あだ名は横綱・白鵬も認める 『怪物・モンスター』と呼ばれています。

逸ノ城の所属している部屋は?


逸ノ城は湊部屋に所属しています。

所在地 〒333-0847
埼玉県川口市芝中田2-20-10

師匠名 湊 孝行 日本相撲協会の<委員>を務めています。

師匠の旧しこ名  前頭二枚目 湊富士
本名      三浦 孝行
生年月日 昭和43年7月6日生
出身地  群馬県
家族       医師でもある三浦真
生涯戦歴 601勝631敗37休
受賞歴 優勝0回/殊勲賞0回/敢闘賞1回/技能賞0回

逸ノ城の親方の女将さんの紹介

逸ノ城の親方の女将さんは医師でもある三浦真さんです。
三浦真さんは現在43歳の若さで大変美しい方です。

三浦真さんのプロフィール

埼玉医科大学大学院卒業後、
同大学病院の神経耳科に入局。
29歳のときに湊富士(現・湊部屋親方)と結婚。
2児の母として子育てをしながら
埼玉県内の介護老人施設の院長を務める。
2010年に夫が湊部屋を継承したことにより、
おかみ、医師、母親の3役をこなすことに。
現在はおかみ業に比重を置きつつ、
不定期で病院勤務に携わる。
大学院時代に親方と出会い結婚。

逸ノ城の来歴

遊牧民時代

逸ノ城はモンゴル在住時代は遊牧民であります。
幼少期よりブフ(モンゴル相撲)に親しんでおり、
14歳の時にアルハンガイ県大会で優勝した実績を持っている。

2010年に鳥取城北高校相撲部の石浦外喜義監督に
才能を見出されて来日し、同高校に相撲留学しました。

逸ノ城は相撲留学を希望して応募した当時の印象は
第一印象は目立たない優しそうな子、であったが
傑出した太ももの太さに目を見張った」には凄い!

遊牧民であったため学校にあまり行っていなかったらしいが、

モンゴル語も標準語を話せなかった。
高校では「我慢」を一番学び、遅刻が当たり前で
あるモンゴルとは感覚が違うことも覚えたのです。

最初は相撲が非常に弱かったことから、
とにかく四股を踏んでおけ」と指導されている。

逸ノ城はどんな厳しい稽古よりも
四股が嫌いであったため無理にでも四股を踏ませられ、
徐々に成果を上げられるようになった。
現在の逸ノ城があるのも
鳥取城北高校相撲部の石浦外喜義監督の指導の影響が大である。

逸ノ城の戦歴

新十両の2014年5月場所は、
初日から4連勝をするなど実力を存分に発揮して、
11勝4敗で4人による優勝決定トーナメントに進出しました。

しかし、1回戦で琴勇輝、決勝戦で鏡桜と、
この場所の本割で敗れてしまったが

幕内経験者を相次いで倒して、新十両優勝を果たしました。

翌7月場所も白星を重ね、13勝1敗で千秋楽を迎えたが
2敗の栃ノ心に本割・決定戦で連敗してしまい、
2場所連続の十両優勝は、出来なかった。

それでも13勝2敗の好成績を挙げ、
翌9月場所で新入幕を果たしました。

9月場所は、11日目に大関の稀勢の里、12日目に同じく豪栄道、
13日目に横綱の鶴竜を破り、
この時点で1敗で白鵬と並び優勝争いのトップとなった。

初土俵から5場所目での成績であった。

入幕力士が横綱と二人の大関を倒したのは史上初である。

新入幕で金星をあげるのは
1973年9月場所の大錦(対琴櫻戦)以来41年ぶりのことだった。

14日目に白鵬との直接対決に敗れ対戦して以来

結果的に100年ぶりの新入幕優勝は逃したものの、
殊勲賞と敢闘賞を受賞した。
新入幕でのダブル受賞は2000年5月場所の栃乃花(敢闘、技能)以来で、
幕下付け出しデビューから所要5場所での
初受賞は雅山と並び最速となった。
新入幕で13勝をあげるのは最多タイ記録
(1964年1月場所の北の冨士、1967年3月場所の陸奥嵐に並ぶ3人目)。
10月2日、半年間通った相撲教習所を卒業した。

2014年11月場所で西関脇に昇進する。
幕下付け出しから所要5場所での三役(新関脇)昇進は
昭和以降1位のスピード出世、

また新入幕翌場所の関脇昇進は昭和以降では初となった。
十両の翌々場所で新関脇は、
2001年1月場所の琴光喜以来昭和以降2人目。

モンゴルからの新関脇は、
2009年7月場所の鶴竜以来7人目。
しかし10月に行われた秋巡業では多大な注目を浴びたことによる
ストレスと過労により帯状疱疹を発症し、
1週間の入院を余儀なくされた。

さらに退院後には入院中ほぼずっとベッドの上に
いた影響で骨盤が歪み、
場所直前にも拘らず整体を受けるために1泊2日で
大阪まで向かう必要に追われた。

このように明らかな調整不足の中で迎えた11月場所は
中日まで4勝4敗と一進一退であったが
14日目に勝ち越しを果たし、
場所を8勝7敗で終えた。
新三役がいきなり関脇だった場所で勝ち越した例は、
1994年3月場所の武双山(9勝6敗)以来、20年ぶりの快挙となった。
1月場所は、再び西関脇の地位で2大関に勝利するも
6勝9敗と入門以来初の負け越しとなった。
しかし、西前頭筆頭に下がった翌3月場所は
日馬富士から金星を得るなどの活躍で9勝6敗の勝ち越し。
場所後の3月31日に行われた兵庫県姫路市での
巡業ではコンタクトレンズを一週間つけっぱなしにしていたことで
右目が真っ赤になるなど不調が伝えられたが
続く5月場所は初日に白鵬から白星を奪うなどして
小結の地位で8勝7敗の勝ち越しを収めた。
7月場所は西関脇に昇格したが精細を欠き4勝に留まった。

東前頭4枚目に落ちた9月場所は9勝としたが、
東前頭1枚目として迎えた11月場所は6勝と
自身初めて平幕として負け越しを喫した。

2016年1月場所は東前頭3枚目で迎えたが、
2勝13敗と散々な成績だった。

幕内昇進後最も低い番付となった
3月場所は開幕5連勝、
最終的に11勝を挙げやや調子を取り戻した。

5月場所は西前頭2枚目まで番付を上げ、
3日目に横綱・日馬富士を破るなど序盤は好調だったが、
中日以降負けが込み12日目で負け越しが決まった。

7月場所は幕内唯一の5連勝で一時優勝争いのトップに
出たがそこからは星が伸ばし切れず優勝争いから脱落、
それでも9勝を挙げた。

9月場所は腰椎椎間板ヘルニアで
自身初の全休。

左半身がしびれ、真っすぐに歩けなかったため入院し、
25日間の入院生活中は痛みで睡眠も
食事もままならないことがあったが、
退院時点で212kgの体重が200kgまで落ちた。

退院後、減量に励んだ結果187kgまで体重を落とした。

“スリム”な姿に11月1日の力士会では
玉鷲から「新弟子が来た! 初めまして」とからかわれたほど。

しかし場所直前の宮城野部屋での出稽古では
18番取って6勝12敗と不調であり、
時には十両や幕下に圧倒されることもあった。

11月場所の場所成績も振るわず、
7勝8敗と自身初となる幕内2ケタ台での皆勤負け越しを喫した。

場所後の2016年度冬巡業は全休。
この年の勝ち星は1年間幕内にいた力士では
照ノ富士の33勝に次ぐ少なさで年間ワースト2位の34勝だった。

2017年1月場所は
半年以上続けていた禁酒などによる減量と
筋力トレーニングなどの成果が出て
優勝争いするなど二桁勝利をあげる。

3月場所は東の7枚目の地位で迎えたが、
中盤に5連敗を喫するなどで6勝9敗だった。
東の9枚目に番付を下げた5月場所は
先場所同様に中盤に5連敗を喫し、
中日を終えて2勝6敗だったが、

そこから6連勝で追い上げて8勝7敗と勝ち越しを決めた。

翌7月場所はやや幸運な3枚上昇の東前頭6枚目。

その7月場所は5日目に遠藤から不戦勝を獲得したという
幸運もあって千秋楽に勝ち越しを懸けるが、

同じく7勝7敗の佐田の海に敗れて7勝8敗の負け越し。

9月場所は番付据え置き。

10月6日の秋巡業横浜場所では9番申し合いを行い、
8勝1敗。

11日の浜松場所では土俵下で30分間、
日馬富士は逸ノ城と向き合い何度もすり足を
繰り返させた。

日馬富士からその中で左の使い方など、
身ぶり手ぶりでテクニックを伝授してもらった。
後輩を熱血指導した日馬富士は
「立ち合いの練習をしていました。

22日の岸和田場所から、
秋巡業を休場することになった。

この日の巡業には姿を見せたが、
午後の取組を回避して帰京した。

西前頭4枚目で迎えた2017年11月場所は、
初日から4連勝と好スタートを切ると、
8日目には横綱・稀勢の里から金星。

2016年11月場所は減量の効果で筋肉が落ちて力も
出ない上に食事を我慢したストレスが溜まったため、
その反省から食事の適量を守りつつ減量をやめてこの場所に挑んだことが、
場所中伝えられている。

中日を終えて7勝1敗と好調だったが、
9日目の大翔丸戦、11日目の髙安戦では力なく完敗するなど
3連敗で優勝争いからは脱落。

しかし12日目からの大関・関脇戦を3連勝として10勝5敗と
二桁の白星を挙げた。

2018年1月場所は前頭筆頭で迎える。
初日から連敗してしまうが横綱・稀勢の里を倒し
この場所初白星。

その後連敗してしまうが6日目から7連勝し10勝5敗で場所を終えた。

これにより翌3月場所は16場所ぶりとなる三役の地位で迎えることが確定した。

また、12日目の取組後の支度部屋では
比較的体の動きが良い場所であることを自覚するようなコメントを残している。

続く3月場所は入門前からの持病である腰痛が
快方に向かっていることから好調で、

小結の地位で9勝6敗の勝ち越し。

5月場所は西関脇に復帰。
初日から4連勝するなど好調を維持し、
14日目には横綱 白鵬に勝利するなど安定した相撲内容で
8勝7敗と勝ち越した。

7月場所は自身最高位である東関脇で迎えたが、
体重を230㎏まで増やした影響で腰が悲鳴を上げ、
先場所までとは一転して持ち味の腰の重さが見られず、

9日目を終えて3勝6敗に留まるなど脆さを見せたが、
終盤戦は大関2人を破るなどして8勝7敗と勝ち越し。

ただし、西関脇の御嶽海が13勝を挙げて優勝したため、

翌場所では西関脇に番付を下げた。

その9月場所では、初日こそ白星も2度の3連敗が響き、
10日目を終えて3勝7敗と関脇陥落の危機に陥ったが、

そこから横綱・稀勢の里を力強い相撲で破るなど5連勝で、

結果的に8勝7敗で場所を終えた。

幕内7場所連続の勝ち越しとなった。

続く11月場所は初日こそ白星も、
翌日から5連敗を喫し11日目を終えて3勝8敗と負け越しが決まる。

2019年1月場所は
一年ぶり平幕である西前頭筆頭で迎える。
序盤戦で2横綱2大関を破るなど好調だったものの、

中盤以降は、関脇以下相手に自分の相撲を取ることが出来ず、
14日目には負け越しが決まってしまう。

結局この場所を6勝9敗で終え、
1場所での三役復帰は叶わなかった。

3枚下降の西前頭4枚目で迎えた3月場所は
9日目に勝ち越しを決めるなど絶好調。
9日目での勝ち越しは自身としては新入幕であった
2014年9月場所以来。

その後も連勝を続け、千秋楽も勝って14勝1敗で終えた。
しかし結びの一番で横綱白鵬が勝って全勝で
終えたために優勝はならなかった。

本割では白鵬との対戦は組まれなかった。

2度目の殊勲賞を獲得。所後の春巡業がぎっくり腰で休場。
4月12日から春巡業での取組への参加を開始した。

逸ノ城ダイエットやめて好調なれど再関脇をその体重で大丈夫?

2018年夏場所では湊部屋の逸ノ城が久しぶりに関脇に戻ってきます。

ここしばらく新入幕のときの鮮烈デビューは一体何だったのかと
思わずにいられないほど精彩を欠いた相撲が、続いていましたが、

昨年の九州場所あたりから、逸ノ城は突然以前のの強さを発揮。

各方面から、いろんな罵倒が飛びかう中
やはり、逸ノ城は、体重を落とさないと上で満足のいく
相撲はとれないと思い

各方面から「太りすぎだ やせろ!」と言われており、
体重を落とさないと上で満足のいく相撲はとれないと
思われていたのですが、

昨年ダイエットをやめた途端に謎の絶好調です。

やはり、逸ノ城はダイエットをして大相撲業界を
賑わせて呉れることを希望します。

逸ノ城のダイエット奮闘記

逸ノ城がダイエットを行った方法は、
湊部屋の女将さんの指導が見逃せません!

参照:逸ノ城のおかみさん三浦真は医師?湊部屋の親方の妻を紹介!

編集後記:##逸ノ城の体重が減り、成績と年齢 ?部屋の親方の情報満載!

今回は、逸ノ城の体重が減って相撲が俄然強くなり
その理由は、逸ノ城のおかみさん三浦真さんの親身に沁みる
指導が良かったことについて調べた結果を記載しました。
その他には、逸ノ城の十両以下の戦歴も掲載しました。

逸ノ城が今後大相撲の世界で活躍するには
精神面や体重管理が欠かせません。

その様な時に、部屋の女将さんの親身な指導を忠実に
守っていけば、大関昇進も夢ではないかもしれません。

逸ノ城頑張れ!!


友風友太のピアノの得意技のピアノが凄い!出身地は?母は?

友風友太はこれから益々躍進できる力士と思われます!
実は、ピアノの腕前が凄いんです!

ピアノの腕前が凄いだけに、音楽大学への進学まで勧めれているけど
母校(小学校)の運動会の音楽を友風が作曲までしているというレベルの
ピアノに関するレベルの高さは凄い。

そんな友風は音楽の道を選ばずに、
相撲の道を選んだのか?
どんな相撲キャリアをたどってきたのか?
そして、巷で話題にになっている兄弟子・嘉風との
アツい関係性について解説していきます。




友風のプロフィール

本名 南 友太
しこ名履歴 南 友太 → 友風 勇太
番付 前頭十三枚目
生年月日 平成6年12月2日
出身地 神奈川県川崎市川崎区
身長 183cm
体重 177kg
得意技
番付最高位 前頭十三枚目
友風は神奈川県の川崎市からの出身です。
川崎市というと神奈川県の北東部に位置する政令指定都市で、
7区の行政区を持っており政令指定都市の中では最も面積が小さいが、
人口は都道府県庁所在地以外の市の中では最大である。
人口約151万人。神戸市(人口約152万人)に次ぐ国内7位。
姉妹都市としては
中標津町(北海道)
富士見町(長野県)
那覇市(沖縄県) このような都市と姉妹都市になっています。

この様な立派な都市から出身している友風関は

川崎商工会議所は友風関を
「かわさき産業親善大使」に任命されています。

友風関が「かわさき産業親善大使」に任命され
十両昇進に合わせ、
川崎後援会が発足し、12月26日に祝賀会を開き、

化粧まわしを贈られました。

川崎市出身の十両優勝力士は隆三杉(現千賀ノ浦親方)以来です。

・友風関の四股名の由来

友風の来歴

友風が相撲キャリアをスタートさせたのが中学生の頃。
当時からスポーツ万能タイプだった友風は、
極真空手やバスケットボールをしていた。

中学では柔道部に入部したのだが、
相撲大会へも出場していた。

理由は、中学時代の柔道部顧問
相撲経験があったので友風も出場していた

そんな感じで出場した友風だったが関東大会団体で
優勝するレベルまで成長。

ちなみに友風は相撲にはあまり興味が無かったとか?

ただ、高校では相撲部に入部している。
中学の柔道部顧問と向の岡工高の相撲部顧問
知り合いだったことが縁で相撲の道に進んだ友風だった。

素質を見込まれて相撲の道へ入ったのだと思う友風は、
高校2年生の時には全国選抜高校相撲弘前大会で
準優勝の成績を収めるまでに成長。

ちなみに、決勝戦で敗れた相手は
角界随一の巨漢関取・逸ノ城であった。
ちなみに、逸ノ城は友風より一学年上である。

友風関は高校時代に大きなタイトルは獲得していないが、
この準優勝がきっかけとなり大学でも
相撲を続けていく自信が沸いたそうだ。

大学は名門・日本体育大学相撲部に進み4年生の時には、
全日本大学選抜宇和島大会で優勝もしている。

友風関は、日本体育大学相撲部にて、嘉風関の指導を受けていた様です。

大学を卒業した後は、嘉風が所属している尾車部屋へ入門。

友風も同じ部屋を選んでいる。

大学でのアマチュア横綱や主要大会での好成績が
無かったので、友風は前相撲からスタートさせている。
2018年5月場所のこと。

次場所では序ノ口で7戦全勝優勝を果たし、
序二段でも6勝1敗と好成績を収めた友風は
同年11月九州場所では三段目に昇進すると
7戦全勝優勝を果たし早くも幕下まで昇進。

2018年に入ると、幕下でも確実に勝ち越しを続けて行った。
2018年9月場所では、幕下4枚目という位置で
5勝2敗の成績を収め遂に十両へ昇進となり関取となった。

友風関の誕生である。

友風 尾車部屋 優勝インタビュー平成29年名古屋場所

2018年11月場所では、西十両14枚目と十両で
一番下の番付ながら勝ち越しを決めている。
一場所で幕下に下がる力士も居るなかで
実に立派な成績が称賛されたのだろう!

友風関が十両に昇進できたのは
嘉風の存在が大きいのではないだろうか?

この様な経緯で友風関の来歴の記事は終わりにします。

兄弟子・嘉風関とのアツい関係性!

友風と嘉風の出会いは日本体育大学時代で、
直接指導してもらったのが縁となり
今でも本当の兄と弟のように仲良く、
そして切磋琢磨している関係です。

尾車部屋では、嘉風の付け人として
友風が相撲道を学んでいたのですが、
嘉風が十両に昇進し関取となったので
本来ならお役御免!となり
嘉風の付け人を離れても何ら問題はありませんが

、嘉風たっての希望で十両に昇進した後も友風に付け人を
お願いし、友風も嘉風の付け人をすることで
学べることが多くあるので
十両昇進後も付け人をすることになった。




友風関は得意技のピアノが凄い

実際に、友風がピアノを弾いている映像がありました。

友風関は将来は力士になるか、ピアニストになるか
悩んでいたのかも知れませんね。

もし、日本体育大学へ進学せず、音大へ進んでいたら、

今頃は、素晴らしい音楽家になっていたかも知れません。

友風の母親は?

女手ひとつで育ててくれたお母さんは、
星山 奈美さん(47才)で、エステティシャンのお仕事をされています。

友風は3人兄弟の長男で、下に妹さんが2人います。

二番目の妹さんは友香さん、
三番目の妹さんは友梨さんで、
お2人とも会社員をされているそうです。

母子家庭で育った友風は母親との仲がとても良いらしく、

「母ひとりで、ここまで大きく育ててもらった。高校から大学と、
どこの地方での相撲の試合の応援にも、
必ず来てくれていた。いつも近くにいてくれる、
精神的に支えてもらった大きな存在
この様にコメントしてました。

母さんに対する感謝の気持ちを素直に話していました。
息子さんのことが大好きで、
九州場所は、東京~福岡を3往復もしたそうです。

素晴らしいお母さんですね!羨ましい!!


千代の国の出身地や実家や 怪我は?妻との生活についての真相を解説

今回は、イケメン力士として名高い千代乃国のお話です。
千代の国は元千代の富士である九重親方のお弟子さんですね
千代の国は、「イケメン力士」として女性ファンも多く、
今後の活躍に期待がかかる若手力士の一人です。
千代の国は十両、新入幕と1場所づつつとめてから、
NHKの大相撲中継の放送に、姿を見られなくなり
ファンとしては淋しいですが、その理由も調べてみました。




千代の国のプロフィール

四股名 澤田 → 千代の国
本名 澤田 憲輝
愛称 トシキ、九重三羽烏、日の丸、クニちゃん
生年月日 1990年7月10日(28歳)
出身 三重県伊賀市
身長 182cm
体重 146kg
BMI 44.08
所属部屋 九重部屋
得意技 突き、押し

千代の国関は、本名を澤田憲輝(さわだ としき)さんです。
1990年7月10日生まれの現在27歳です。

三重県伊賀市の寺院の息子として生まれ、
幼少期より、兄と姉と3人兄弟全員で格闘技を習い、
兄弟揃って数々の大会で好成績を残しています。

千代の国関の実家は

三重県伊賀市の寺院の息子として生まれです。

橋本寺は、宗派天台真盛宗
三重県伊賀市にある寺院所在地三重県伊賀市野木469

幼少時から父に空手を習うなど大の格闘技好きの少年だった。

4つ年上の兄・賢澄
2つ年上の姉・真裕美
千代の国は共に父に厳しく育てられたこともあって、

数々の大会に出場し賞を独占するなどして
「伊賀の澤田3兄弟」と全国に名が知れ渡るほどの人気者であった。

幼少期より、兄と姉と3人兄弟全員で格闘技を習い、
兄弟揃って数々の大会で好成績を残しています。

千代の国の来歴

力士になるきっかけは、千代の富士ファンである父親に連れられ、
稽古見学へ行った時に力士の強さに圧倒されたことに起因します。

この時に訪れたのが名古屋場所中の九重部屋でした。

小学4年次に既に力士への夢が決まっていた少年・憲輝さんは、
見学時に振る舞われた御馳走にも背中を押されたと、
後に語っています。

少年時代ですので食欲も旺盛なので、さぞかし美味しく感じたのでしょう!

柔道部の主将として活躍した中学卒業後の2006年に
九重部屋に入門し、
同年5月場所に本名の澤田で初土俵を踏みます。

順調に勝ち進め、
三段目昇進の際に父親考案の四股名「千代の国」を与えられました。

千代の国の誕生です!

十両優勝2回、三段目優勝や序二段優勝と、
実力のある千代の国関ですが、
自身の番付最高位が東前頭筆頭で、

現在は西前頭7枚目です。

ちなみに、冒頭で少し取り上げた
兄の賢澄さんは
憲輝さんの4つ年上で、
憲輝さん同様、
中学卒業後に九重部屋に入門し、
2002年に初土俵を踏んでいます。

しかし、兄の賢澄さんは
2012年の9月場所を以って引退しています。

引退の理由の一つに腎臓の病気もあるようです。




千代乃国の怪我の状態は?

千代乃国は元々両肩の脱臼癖があります。
それに加え、
2012年の7月場所で左手靱帯断裂、
2013年の7月場所では左太もも二頭筋損傷、
さらに同年11月場所においては
右踵骨骨挫傷で休場しています。

この他にも、脱臼を含む怪我による休場が多々あり、

千代の国関はその都度それら怪我を乗り越えて現在に至ります。

この様に怪我で休場が多くても現在の位置は

「西前頭7枚目」で頑張っている姿は素晴らしいのですが

休場が多いと
NHKの大相撲中継の放送に、姿を見られなくなり

淋しいので頑張って欲しいです。

妻との生活について

千代の国の結婚に至る迄は
彼氏・彼女の関係の期間が7年と長いように思われますが、
同棲期間はおよそ4年間ほどらしいです。

というのも、
交際当初は愛さんが大阪、
千代の国関が東京にいた為、
所謂遠距離恋愛状態だった模様でした。

遠隔地恋愛はお互いに愛し合ってこそ報われるのですが
その結果、2014年から同棲を始めたという事らしいので、

その間にも彼女との愛を育んだのかも知れませんね!

その後、2017年4月25日に晴れて結婚!
そして今回の挙式・披露宴となります。

この時の様子は、
2018年2月17日配信の「スポーツ報知」では、
以下のように報じています。

千代の国関が先輩力士に誘われて参加した食事の
席に愛さんがいて、惹かれ合ったと言います。

彼氏・彼女期間が7年と長いように思われますが、
同棲期間はおよそ4年間ほど。

というのも、交際当初は愛さんが大阪、
千代の国関が東京にいた為、
所謂遠距離恋愛状態だった模様。

2014年から同棲を始めたというので、
その間にも彼女との愛を育んだのでしょう。

その後、2017年4月25日に晴れて結婚!

そして今回の挙式・披露宴となります。

2018年2月17日配信の「スポーツ報知」では、
以下のように報じています。

イケメン関取として女性ファンに人気の
大相撲幕内の千代の国(27)=九重=が17日、
都内のホテルで愛夫人(27)と挙式・披露宴を行った。

約500人が出席した披露宴には角界からは
横綱・稀勢の里(田子ノ浦)や初場所で初優勝した
幕内・栃ノ心(春日野)ら関取衆に加え、

部屋と親交が深いレスリング女子で04年アテネ大会から
五輪3連覇を達成した吉田沙保里(35)=至学館大職=も出席した。

会見した千代の国は、「正直、昨日はドキドキして寝付けなかった。
(夫人を見て)きれいだなと実感しました」と
純白のドレス姿の夫人を絶賛。

2人は昨年4月25日に婚姻届を提出し、既に同居。

愛夫人は「新婚という感じはないけど、
逆にリラックスして楽しんで迎えられた」と
夫とは真逆の自然体で晴れの日を迎えた。

披露宴でスピーチを求められた
稀勢の里は
千代の国の兄で元九重部屋所属の千代の真(引退)と
同期生だった縁を語り、

「真面目で先輩への気遣いがあり稽古熱心です。
上を目指して頑張ってほしい」と今後の出世を期待した。

同じ三重県出身の歌手、山川豊は
「関取からお電話があり、『あいさつをしてください』と
言われましたが、普通なら歌ってくれかと…。
優勝したときに歌わせてもらいます」と
冗談交じりに激励の言葉を贈った。

千代の国は膝を痛め、三段目まで落ちたが、
愛夫人が献身的なサポートを続け、
史上3人目の三段目陥落からの幕内復帰を支えた。

春場所(3月11日初日・エディオンアリーナ大阪)は
夫人の実家がある大阪での本場所。

「自分のためではなく、彼女のためにも稽古場では
気持ちが入る。
今までは自分で強くなりたいと思ったけど、
彼女のためにもという気持ちが強くなった」と
一家の主としての自覚を強調していた。

まとめ

千代の国の出身地は三重県伊賀市でしたね
しかも、三重県伊賀市の寺院の息子として生まれてから努力して
現在の力士として成長してきた居ます。

しかも力士になってからは、怪我をも克服して頑張っている姿は素晴らしいと
思いました。
そんな甲斐もあって現在は素晴らしい嫁に恵まれて
素晴らしい家庭を築いておられるので、立派ですね!

今回は記載しませんでしたが、自宅から稽古場や巡業先名地に移動するときには
私達と同じように電車通勤をされたいる様です。

如何でしたでしょうか?
身体は小柄でも大型力士を相手に頑張っている千代の国関を
応援したいと思いました。


雲竜型と不知火型の違いは?選択した力士の解説


横綱の土俵入りは、大関以下の関取とは違って
露払いと太刀持ちを従えて、土俵入りを行います。

その横綱の土俵入りの型には、
「雲龍型」と「不知火型」の2通りの型があります。

今回は、このそれぞれの土俵入りについて、ご紹介します




横綱の土俵入りの型について

それぞれの土俵入りについて、動画を参考にして
各々の土俵入りの型をご覧ください!

「雲龍型」
鶴竜 横綱土俵入り 貴乃花直伝の雲竜型

「不知火型」
横綱白鵬 不知火型土俵入り

「雲龍型」と「不知火型」の違いは

雲竜型

せり上がりの時、左手を胸の近くに当てて
右手は伸ばすのが特徴です。

・綱の結び方は、1輪になっていますので
不知火型とは区別が分かり易いですね!

不知火型

せり上がりの時、両手を伸ばす形の土俵入りをします。

・綱の結び目は両輪になっているので、雲竜型とは
区別が出来ます。

雲龍型を過去に選んだ力士は?

この雲竜型は、「雲龍久吉」が行っていた
土俵入りの型を起源として現在使われています。

この型は、せり上がりの時、左手を胸の近くに当てて
右手は伸ばす形の土俵入りで、
綱の結び方は、1輪になっています。

そして、大多数の横綱が、
この型の土俵入りを選択しています。

この雲龍型は、縁起の良い型とされています。

けれども、横綱在位場所数最短の前田山と
2位の三重ノ海も、この型を選んでいたことあります。

結論としては、雲竜型を選んだとしても、
必ずしも縁起が良いとは、言い切れないようです。

横綱の所属する各部屋が、
出羽海一門、高砂一門、時津風一門の場合は、
全員が雲龍型を選択しています。

この型の土俵入りを行ってきた主な横綱としては、
大横綱と言われる

双葉山、

大鵬、

北の湖、

千代の富士などが、

この雲龍型の土俵入りを行っていました。

また、近年では、

曙、

貴乃花、

武蔵丸、

朝青龍が

稀勢の里

この土俵入りを行ってきました。

ただ、朝青龍の引退後は、

2014年春場所後に横綱に推挙された

鶴竜関がこの雲龍型を選択するまで、
この型の土俵入りをする横綱が
不在の時期が続いていました。

これらの型の動作の指導に携わっているのは
かつて雲龍型を選択した
元横綱・大乃国の芝田山親方から指導を受けています。




不知火型を過去に選択した力士は?

不知火型は、過去に「不知火光右衛門」
行っていた土俵入りです。

この不知火型は、せり上がりの時、
両手を伸ばす形の土俵入りで、
綱の結び目は両輪になっています。

主に、立浪一門(現・伊勢ヶ浜一門)や、

二所ノ関一門に所属する横綱が

この不知火型を選ぶとされています。

不知火型はしばしば、
大型力士が披露すると
見栄えのする(姿が綺麗)型とも言われています。

しかしその一方で、

「不知火型横綱は短命」という事も、時々言及されています。

実際に、このようなジンクスに抵触た
玉の海が横綱在位中に
お亡くなりになった事があります。

そして、このジンクスをくつがえそうとして、
また、不知火型の継承のためと考えて

この型を選択した琴櫻関や

隆の里も、

結果的に短命な横綱となってしまいました、

こうした背景もあって、
「不知火型横綱は短命」というジンクスが
伝え続けられる結果となってきました。

その後も、このジンクスを受け継ぐような
横綱が続いてきましたが、2007年に横綱に昇進し、
現在、大横綱として相撲界を牽引しています。

白鵬関がこの不知火型を選んでいる他、
日馬富士関も不知火型を選択しています。

現在の在位中の2横綱が同時に
不知火型を選択したという事は、
実は、史上初めての出来事なのです。

現在、不知火型を選択した白鵬関が
大横綱と言える程の活躍を見せ続けており、
この不知火型に対するマイナスのイメージは、
近年、薄れつつあるともいわれています。

まとめ:雲竜型と不知火型の違い

雲竜型と不知火型の違いとしては、

雲竜型

・せり上がりの時、左手を胸の近くに当てて右手は伸ばす
・綱の結び方は、1輪になっている
・「縁起のいい」型と言われている
・選択した力士:双葉山、大鵬、北の湖、
千代の富士、貴乃花、朝青龍など

不知火型

・せり上がりの時、両手を伸ばす形の土俵入り
・綱の結び目は両輪になっている
・「不知火型横綱は短命」と言及されることも
・選択した力士:玉の海、琴櫻、隆の里、白鵬、日馬富士などが選択

このような事が挙げられます。

ちなみに2015年9月現在では、
鶴竜関が雲龍型を選択したことで、
雲龍型と不知火型の横綱が在位しています。

横綱の土俵入りは、大相撲における
1つの華とも言えるものですからから、
双方の型の土俵入りを、今後も同時に、
見続けていけたら楽しいですね!


阿武咲【おうのしょう】の読み方は、由来は、家族構成は?私生活を解説

大相撲業界の中で大変読み難い四股名に阿武咲【おうのしょう】を
発見しました。相撲ファンの皆さんは漢字を見ただけでは
なかなか正確に読めないのではないでしょうか

今回は読みにくい四股名の阿武咲【おうのしょう】の正確な
読み方と阿武咲の四股名の由来や家族構成は?私生活や趣味について
調べてみましたので解説致しました。




1 阿武咲のプロフィール

四股名 阿武咲
本名 打越 奎也
生年月日 1996年7月4日(22歳)
出身 青森県北津軽郡中泊町
身長 176cm
体重 163kg
BMI 52.62
所属部屋 阿武松部屋
得意技 突き・押し

阿武咲の来歴

祖父の勧めで5歳から相撲を始め、地元の中里道場に通って力をつけ
中里小学校6年次に全日本小学生相撲優勝大会で優勝。

中里中学校進学後は2年次と3年次に
全国都道府県中学生相撲選手権大会の無差別級で、
大会史上初の2連覇を達成

雪国の生まれとあってウインタースポーツが得意。
スキー、スノーボードもかなりの腕前で
「昔から体重の割に動きが速く、バネがあるのはそのおかげ」だという

子供の頃はやんちゃであったという

アマチュア時代は厳格な父から1週間で5kg増量することを
命じられたり、腕立て伏せと縄跳びを1日に1000回やらされたりしたが、
父と競いながら稽古をしていた。

中学卒業後は三本木農業高校に進学。
1年生ながら全国高校相撲宇佐大会と国体相撲少年の部で優勝し、

団体戦でも選抜高校相撲十和田大会優勝に貢献するなど、

実力を遺憾なく発揮して自信を深めたため、
卒業を待たずに角界入りすることを決意したのである。

高校を11月に中途退学して、
小学生の頃から道場時代の監督と部屋所属だった
元十両・古市が大学の同期という縁で

稽古の交流があったので阿武松部屋(関脇・益荒雄)に入門し、
2013年1月場所で初土俵を踏んだ。

打越 奎也は入門に関して「あえて厳しい部屋を選んだようです。

相撲界に入門するには
まず、どこかの部屋に入門して相撲の初歩から勉強しないと
角界に昇進出来ない規則になっていますので
打越 奎也は、阿武松部屋に入門したのです。

打越 奎也は今迄の父親から受けた特訓と今迄の力量に相当の
自信があったので、この様な道を選んだのでしょうね

小学生の頃から土俵の上では良きライバルである。

「大好きな先輩「徳勝龍」。

小さい頃から、お兄ちゃんのような存在だった」という
親しい間柄です。

徳勝龍は、同じ近大相撲部で同学年の宝富士が故郷の
青森に帰省した時に同行。
そこで少年時代の阿武咲に稽古をつけてくれた。

2017年5月場所12日目には徳勝龍を破って勝ち越しを決めて
恩返しを果たしている。

2017年7月場所は先場所より2日早い10日目で勝ち越しを決めたが、
その相手は又もや徳勝龍であった。

貴景勝とは親友であり、巡業では昼休憩になると
2人仲良く裸になって一緒に寝そべって、携帯電話で遊んでいた
経緯がありました。

しかし小学生の頃から土俵の上では良きライバルである。

貴景勝については、最初はふてぶてしいので大嫌いであったため
口も聞かなかったが、
2014年11月場所前に出稽古に行ったときに

初めて喋ったのがきっかけで友達になったと語っていたが、

「強い人とやると、食ってやろう、と思う。強い人の方が燃える」




阿武咲の本名と読み方は?

『おうのしょう』これが阿武咲の読み方です。

確かになかなか読めませんね

本名もなかなか難しいですが紹介します!

本名の打越 奎也は  『うてつふみや』と読みます。

こちらも難しい!

『奎』こちらの意味はを調べてみると

二十八宿の一。西方の第一宿。
アンドロメダ座から魚座にまたがる一六星をさすらしいですが
難しいですね

阿武咲の生い立ちと素顔を紹介

阿武咲は勝負が好き、と発言している根っからの
勝負師な性格なので負けず嫌いの性格です

負けず嫌いで、強い相手と対戦するのが楽しいという強者です!

現在の阿武松部屋に決めた理由は

”厳しい部屋だったから”

20年前後しかない力士人生を無駄にしないために
「濃い」時間を作りたいと選んだんですね。

将来の横綱候補と言ってもいいくらいの心持ちの人です!

場所中は負けても口数が少なく、表情の変化もないので
真面目な人かな?と一瞬思うのですが

趣味や好きなことは、20代の男子と変わらない
一面を持っています。

K-1好きで、憧れの選手はHIROYAさんとのことです。

雪国生まれということで

ウィンタースポーツが得意

スキー、スノーボートはお手の物!

かってあの体でできるの?とびっくりしたんですが

「体重の割に動きが速くてバネがある」と自分で分析。

そして、音楽大好きです!

音楽の話になると、表情が緩んで土俵の上とは
違った顔が見られます。

歌はプロ並み、というウワサもあるくらい歌うことも大好きらしく

大好きなのは、地元のスター 吉幾三さん。

やはり、同郷の歌手には興味があるのですね!

演歌も歌えるとなると相当上手い気がします!

カラオケでは、ケミストリーなどを熱唱しているという情報も。

R&Bが歌えるなんて、絶対歌が上手いでしょう!

昔は力士たちが歌を歌う番組もあったんですが、
最近は少なくなっています。

随分上手に歌っていますね!素晴らしい!

阿武咲の彼女や結婚について

阿武咲は現在22歳ですがまだ結婚していません。
これから結婚されると思いますが、ファンは大変気にしています。
現在は、人気が上昇してくると、当然結婚話にも
話題に成るかも知れませんが
目下下記のようなコメントをしていました。

阿武咲 奎也ツイッター/Ounosyou
@ounosyofumiya

「阿武咲」この四股名の読み方と名付けの由来は?

『阿武』は親方の阿武松親方から頂いたもので
『咲』は地元の恩師

中泊道場監督の小山内誠さんの

「土俵の上で花が咲くように」という願いから

その『咲』を頂いたようです。

四股名の名前は阿武の松原という景勝地を由来としているのかも

昔の阿武松は、とても活躍していましたが、
その名前は年寄名跡という称号に指定されていて、

その称号をお金で買った元力士はその名前を名乗ることができます。
現在その名跡を持っている手嶋さんが経営している
相撲部屋なので、阿武松部屋と呼んでいます。

四股名「阿武咲」には地元の恩師の
「土俵上で花が咲くように」との願いが込められています。

素晴らしい四股名ですね!

阿武咲は四股名の通り少しでも早く
土俵上で花が咲くように応援しましょう!

阿武松はどんな人?私生活や趣味は?

・阿武咲の父親・母親・弟について
・ ライバルや尊敬する力士は?
小学生の頃から土俵の上では良きライバルである

阿武咲の親方は誰?

阿武咲の親方は

平成31年(2019)正月 集合写真

阿武松部屋は元関脇益荒雄関が興した部屋です。
元益荒雄関は引退して2年後の平成4年9月に、
年寄名跡の阿武松を獲得して所属していた
押尾川部屋を離れ、
当時の大鵬部屋を経て2年後に誕生しました。

現在、阿武松部屋には力士が関取の
阿武咲関と阿夢露関を始め、計17人が在籍しており、
1等床山の床貴と若手の床山である床雄を含めて少なくとも21人が
共同生活をしています。

阿武松部屋の師匠、元益荒雄関の紹介

阿武松部屋の師匠である元益荒雄のプロフィール

四股名 手島 広生 → 益荒雄 広生 → 手島 広生 →
益荒雄 広生 → 益荒雄 宏夫

本名 手島 広生
愛称 白いウルフ、ぶっ壊し屋
生年月日 1961年6月27日(57歳)
出身 福岡県田川郡糸田町
身長 188cm
体重 127kg
BMI 35.93
所属部屋 押尾川部屋
得意技 右四つ、寄り、下手投げ

出身地は 昭和36年6月に福岡県で生まれました。
同じ九州の佐賀県出身で
元大関大麒麟関が師匠である当時の押尾川部屋から
直接スカウトされて、
高校を2年在籍した上で、そこに入門しました。

そこで、右四つからの寄りや下手投げといった強みを習得し、
入門してから4年余りたった昭和58年名古屋場所で
関取の座を掴むことができ、

四股名を本名の手島から益荒雄に変えました
ちなみに1回幕下に陥落していた時期があり、
その際は本名に戻しています。

益荒雄関が最も活躍していたのは今から丁度30年前で、
前年の昭和61年九州場所からの1年間を見ると関脇など、

三役を経験した3場所が全てこの期間に該当し、
生涯獲得した三賞も5回のうち4回がこの期間に取っています。

、昭和62年初場所では立浪部屋所属の第60代横綱双羽黒関から
初金星を挙げると、その次の春場所では、

新小結の地位で昭和の大横綱の1人である
第58代横綱千代の富士関を始め

2人の横綱と北の湖部屋所属の北天佑関、
現芝田山部屋師匠で放駒部屋所属の大乃国関、

高砂部屋所属の朝潮関、
現二所ノ関部屋師匠では
二子山部屋所属の若嶋津関の4人の大関を倒すなど大活躍を見せ、

まさにこの年の「荒れる春場所」の立役者となったのです。

これを益荒雄旋風と呼びこの頃に
千代の富士関のニックネームであるウルフから
「白いウルフ」と呼ばれるようになり、
一気に有名になりました。


相撲・阿武咲のライバルは、貴景勝!両関取の趣味や得意な歌は?

阿武咲関が大相撲で人気上昇中で若手ホープとして
注目をされています。

阿武咲関と貴景勝関はライバルと公言していますが
実際は、どの様な関係なのか調べてもみました。

今回は、阿武咲関の趣味や特技もご紹介したいと思います!




阿武咲関のプロフィール

阿武咲は中学校時代には、
全国都道府県中学生相撲選手権大会の個人戦で、
中2、中3と史上唯一の連覇を果たしたという記録を持っています。

中学卒業後、名門・三本木農業高校の相撲部に進むと、
1年でインターハイ団体優勝に貢献しましたが、
角界へ進む道を選択して高校を中退。

平成25年1月に初土俵、
入門からわずか2年の負け越し知らずで、
平成27年1月に新十両に昇進しました!

身長 177.0cmの身長と160.0kgの体重は、
決して大相撲業界では大柄とは言えませんが
闘志あふれる突き押し相撲は、迫力満点で魅力絶大です。!

阿武咲 奎也
(おうのしょう ふみや)
所属部屋 阿武松
本名  打越 奎也
しこ名履歴 阿武咲
番付 前頭五枚目
生年月日 平成8年7月4日
出身地 青森県北津軽郡中泊町
身長 177.0cm
体重 160.0kg
得意技 突き・押し
趣味は
特技:水泳・スノーボード・スキー
趣味:電話・映画鑑賞・カラオケ

特技は意外やスノーボードやスキーとなっていますね
この趣味から当然足腰を鍛えたのかも知れませんね

趣味は電話?
地元の青森の友達と津軽弁でしゃべるのが、息抜きになるようです。

カラオケは演歌からJ-POPまで何でもこなすそうです。
何を歌っても、めちゃくちゃうまいです!

良く歌うのはケミストリーとか?
歌がうまいので時には、相撲甚句も歌うことがあるようです。

好きな女性のタイプは、長澤まさみさんらしいです。

ライバル?の貴景勝を紹介します。




貴景勝のプロフィール

貴景勝 光信
(たかけいしょう みつのぶ)
所属部屋 千賀ノ浦
本名 佐藤 貴信
しこ名履歴 佐藤 → 貴景勝
番付 関脇
生年月日 平成8年8月5日
出身地 兵庫県芦屋市
身長 175.0cm
体重 169.0kg
得意技 突き・押し

ライバル?の貴景勝について

幕内力士で千賀ノ浦部屋の貴景勝は
大の親友でライバルだと公言しています!

巡業先でも休憩時間などは、
よく一緒におしゃべりしたりしているらしいです。

お互いの存在を知ったのは、
なんと、小学校4年のわんぱく相撲の時です。

この頃は互いにお話をしたことがなかったようですが

阿武咲は「こいつとは絶対に仲良くならないな」
思っていたらしいです。

然し、お互い相撲界に入りして、
阿武咲が貴景勝のところに
出稽古に行った時に、初めて言葉を交わし、
そこからとても仲良くなったそうです!

二人の希望は、2人とも共に大関に昇進して、

これから先、幕内で50回は対戦すること
目標にしようと話していた様です!


参照:貴景勝の大関昇進が決定 史上6位のスピード昇進!口上は

しかしながら、貴景勝は一足先に、幕内優勝を飾りましたので、

阿武咲は凄く刺激を受けていると思われます。

今後の2人の出世争いも楽しみのひとつになってきましたね!

益々大相撲が盛り上がり互いに
切磋琢磨して、頑張って下さい!

まとめ:相撲・阿武咲のライバルは、

貴景勝!両関取の趣味や得意な歌は?

今回は、阿武咲のライバル?
貴景勝の経歴などを掲載いたしました。

阿武咲関は今迄切磋琢磨して今日の地位を確保したのですが

やはり、ライバルである貴景勝関が自分よりも先に
幕内優勝の偉業をされてしまいましたが、

阿武咲関はさぞかし悔しいのではないかと思います。

しかしながら、阿武咲関はこの悔しさを超越して
少しでも早く幕内優勝を達成して
貰いたいのです。
現在の目標はあくまでも一つ上の大関ですが
横綱に昇進できる力量と技を持っていますので、
頑張って下さい!!


碧山の出身地と体重は?結婚した嫁さんと子供等の調査の結果は?

最近の大相撲熱は物凄い勢いで人気が爆発しています。
大入り満員の状態が全部に近い開幕日が続いています。
そんな中で、人気上昇中の力士の中に
今回紹介する碧山関が活躍中なので体重はどの位なのか
結婚しているのでしょうか?既にお子さんはいるのでしょうか?
その様なことを調べてみましたので相撲観戦の参考にして
楽しんで頂ければ幸甚です。




碧山のプロフィール

四股名 碧山 亘右
本名 ダニエル・イヴァノフ
愛称 ダニエル、ブルーマウンテン
生年月日 1986年6月19日(32歳)
出身 ブルガリア・ヤンボル
身長 191cm
体重 198kg
BMI 54.27
所属部屋 田子ノ浦部屋→春日野部屋
得意技 右四つ・寄り、押し、叩き
碧山の成績
現在の番付 東前頭7枚目
最高位 東関脇
生涯戦歴 406勝350敗19休(58場所)
幕内戦歴 330勝313敗17休(44場所)
優勝 幕下優勝1回
序二段優勝1回
序ノ口優勝1回
賞 敢闘賞3回
データ
初土俵 2009年7月場所
入幕 2011年11月場所
趣味 映画鑑賞、釣り

碧山の出身地は、ブルガリア南部のトラキア平原にある
人口が74,132人の国から日本の相撲界にやってきました。

碧山の来歴

碧山は、ブルガリアでレスリングを10年経験して、
その後、アマチュア相撲を3年経験した後に、

ブルガリア出身の琴欧洲関の紹介で
ブルガリア出身2人目の力士として角界入りを果たしました。

エピソード
碧山関の入門当時の体型は、現在よりも、
すっきりした体型であったが
相撲界に入門するために現在の体型になっています。

・碧山の体型は
身長 191cm
体重 198kg
ですが、

現在の碧山関を見ていると、一寸のんびりしている様に
見受けられますが、実際には相当の努力家の様に見受けられます。

碧山関の四股名は

師匠である14代田子ノ浦(元幕内・久島海)に
「山と川どちらが好きか」と尋ねられた際に、
本人が「山」と答えたため「碧山」
という四股名に決まったそうです。

随分簡単に決まった様ですね

日本人の関取が、四股名を決めるときには
縁起や自分の歴史やいろんな事を考慮して決める様ですが
碧山は意外と簡単に決めたようです。

碧山関の結婚について

碧山関のお相手は
同郷ブルガリア出身で建築デザイナー
ビオレタ・トドロバさんです。

碧山より5歳年上の姉さん女房です。

なれそめは、
碧山関が帰国する際に同じ飛行機で知り合った様です。

偶然の出会いで会話を交わしている際に

お互いの実家が80メートルくらいしか離れてなかったので、
ビオレタさんがドイツに住んでいたため存在すら知らない同士だったそうです。

ビオレタ・トドロバさんは相撲にはほとんど興味はないようですが、
碧山関はいろいろな会話をした際に碧山関の人柄や人間性の話を
したそうですが、「ボクという人間を好きになってくれた」とのことらしいです。

碧山関は結婚適齢期でもあり、丁度好みに合った女性と会話をしていると
お互いに好意をもったようですね!とかくいう

この様な縁で二人は目出度く結婚されました。

結婚披露宴の出席者を出迎える碧山(中央)と新婦のビオレタ・トドロバさん

碧山関の来歴(参照;Wikipedia)

レスリングを10年、アマチュア相撲を3年経験した後、
琴欧洲の紹介でブルガリア出身2人目の力士として角界入りを果たす。

1度目に琴欧洲に誘われた際は断ったが、
再度の勧誘に備えて後述するように力士体型を作った。

増量して2度目の勧誘を受けた際は、
人相も異なっていたイヴァノフを琴欧州は別人と勘違いしていたという。

初めは「碧山 聖人」を名乗り、2009年7月場所で初土俵を踏み、
翌9月場所では7戦全勝で序ノ口優勝を果たした。
名を「碧山 亘右」に改めた後、

2009年11月場所では7戦全勝で優勝決定戦へ進出し、
優勝決定戦で風斧山を破って序二段優勝を果たした。

三段目へ昇進した2010年1月場所では、
5日目に北皇(高田川部屋)に敗れてデビュー戦からの
連勝が16で止まったものの、残りの取組は勝利し、
この場所でも6勝1敗という好成績を残した。

幕下へ昇進した翌3月場所では7戦全勝の成績を挙げて
幕下優勝を果たした。

その後は幕下上位に在位し、
2011年5月技量審査場所において
東幕下筆頭の位置で5勝2敗の好成績を挙げて、
翌7月場所に新十両へ昇進したが、

新十両ながら番付を西十両4枚目まで大きく上げた。
翌9月場所では腰椎椎間板ヘルニアのため
初日から休場したが、
3日目から出場して最終的に10勝3敗2休という
好成績を挙げて、翌11月場所において新入幕を果たした。

新入幕となった2011年11月場所では、
11日目に勝ち越しを決め、
最終的には11勝4敗の好成績を挙げて
初の三賞となる敢闘賞を受賞。

初土俵から所要14場所での三賞受賞は
小錦や武蔵丸らに並ぶ史上6位のスピード記録
(幕下付け出しを除く)である。

2012年2月13日に師匠である14代田子ノ浦が
急逝して田子ノ浦部屋が閉鎖されたので、

本人は同年3月場所前に春日野部屋へと移籍した。

転籍後の初稽古では引退したばかりの
竹縄が教育係を務めた。

春日野部屋へ移籍して初めての場所となった
同年3月場所では8勝7敗と勝ち越し、

続く5月場所でも自己最高位となる西前頭6枚目の位置で
11勝4敗と大きく勝ち越した。

東前頭2枚目まで番付を上げた翌7月場所では、
横綱・大関陣との対戦が続いた7日目までは
1勝6敗という成績だったものの、

8日目以降は白星を重ねて、
最終的には8勝7敗と勝ち越しを決めた。

翌9月場所では新三役となる東小結へと昇進し、

ブルガリア出身力士としては2005年3月場所における
琴欧州(現・琴欧洲)に続く2人目の新三役となり、

初土俵から所要18場所での新三役昇進は
曙と並ぶ史上7位のスピード記録(幕下付け出しを除く)となった。

新三役昇進が決定した際の会見では、
前師匠の田子ノ浦親方の遺影を持って会見に臨んだ。

その9月場所では初日から7連敗と不振で、
4勝11敗という成績に終わった。

翌11月場所では8日目まで6勝2敗と好調だったものの、
8日目に勢を破った際に左膝の関節を捻挫してしまい、
翌9日目から途中休場した。

2013年5月場所は自己最高の192kgを計測し、
その影響から5勝10敗の不振に甘んじた。

この場所後、「182~184キロくらいにしたい。
ご飯はお茶わんの半分にして、
野菜を多く食べています」と明かした。

これには、古傷の左膝、腰の負担を軽減する狙いもある。

同年7月場所は上位陣が星を落としていく中で
12日目までただ一人で2敗を守り、
全勝の白鵬を追いかける展開となった。

残り3日は上位との取組が組まれて3連敗し、

最終的には10勝5敗と二桁勝利を挙げた。

翌9月場所は西前頭2枚目まで番付を戻し、
その場所では6勝9敗と負け越したが、

4日目の横綱・日馬富士戦で自身初の金星を獲得した。

翌11月場所では12日目に大関・鶴竜を破って
勝ち越しを決めるなど好調で、
最終的には10勝5敗の好成績を挙げた。

2014年1月場所は番付運に恵まれず、
僅か2枚上昇の東前頭3枚目で迎えた。

6勝9敗と負け越したが、大関・稀勢の里から初白星を挙げた。

2014年2月9日の大相撲トーナメントでは
決勝戦で琴欧洲とブルガリア出身者対決を演じ、
これを制して2010年の豪栄道以来となる
トーナメント平幕優勝を達成した。

翌3月場所は9勝6敗と勝ち越し。
東前頭筆頭だった翌5月場所は2大関(稀勢の里・琴奨菊)を破り、

2場所連続の勝ち越しを決め、
翌7月場所では11場所ぶりに小結に復帰したが
6勝9敗と負け越し。

東前頭3枚目に番付を落とした9月場所は
稀勢の里と豪栄道の2大関を破って

10勝5敗の好成績で場所を終えた。
これを受けて翌11月場所は新関脇に昇進。

ブルガリアからの新関脇は、
2005年9月場所の琴欧州以来2人目となった。

この11月場所の西関脇は初土俵から6場所目にして
新三役の地位を得た逸ノ城であった。

両者がこの場所3日目で対決した際にはともに
新関脇であり尚且つ200kgに迫る巨漢であることから
「合計約400kgの重量対決」として話題になり、

逸ノ城と共に場所を8勝7敗の勝ち越しで終えた。
この場所では、横綱・日馬富士と大関・稀勢の里を破った。

2015年は「大関昇進」を目標としている。
しかし2015年1月場所直前の連合出稽古では
インフルエンザが疑われるなど不調が伝えられていた。

体重が理想(182~184kgくらい)より
重い190kg台後半だった2015年1月場所は、
左膝の状態が良くなかったためか、5勝10敗だった。

しかし、横綱・日馬富士を2場所連続で破った。
翌3月場所はあばらを痛めていた影響で振るわず
5勝10敗の不振に終わった。

続く5月場所、7月場所を連続で勝ち越して、
9月場所は東前頭筆頭まで番付を戻したが、
この場所から4場所連続で7勝8敗と千秋楽で給金相撲を落とした。

2016年5月場所も6勝9敗で終わり、
5場所連続での負け越しとなった。

翌7月場所はダイエットが功を奏したのか
1年ぶりとなる勝ち越しを決め、

東前頭5枚目まで番付を戻した9月場所は
9勝6敗の勝ち越し。勝ち越しを確定させた

]しかし11月場所は初日から5連敗を喫するなど
大関以上からは琴奨菊しか白星をあげられず、

4勝11敗と大敗した。

二桁の黒星は2015年3月場所以来となる。

2017年1月場所は前頭7枚目の地位で臨んだ。
序盤は黒星が先行したが、
終盤持ち直して8勝7敗と勝ち越した。

場所後にはブルガリア人女性との結婚を公表した。

3月場所は千秋楽に勝ち越しを決め、
自身の結婚に花を添えた。

5月場所は西の3枚目に番付を戻したが、
開幕から4連敗をするなど序盤に負けが込み
4勝11敗と大幅に負け越した。

7月場所はここ4年間でもっとも番付の低い
東の8枚目で場所を迎えた。

序盤から出足が良く、武器の突き押しに威力があり、
開幕から7連勝で横綱の白鵬と並んで全勝をキープ。

しかし8日目に阿武咲に敗れて連勝が止まると、
11日目には錦木が敗れ2敗に後退。

しかし同日にここまで全勝の白鵬も敗れたため、
星の差一つで優勝戦線に踏みとどまった。

13日目には物言いの付く微妙な判定ながら勝利を収め、
千秋楽では割変えで小結の嘉風と対戦し勝利。

幕内自己最高の成績となる13勝2敗とし、
千秋楽に白鵬が敗れれば優勝決定戦というところまで持ちこんだが、

白鵬が勝利し、叶わなかった。

それでも他の上位陣が軒並み不振で星を落とす中、
白鵬の独走を許さずに千秋楽まで場所を盛り上げる活躍を見せ、

平成23年九州場所以来、2度目の敢闘賞を獲得した。
三賞受賞はこのとき以来34場所ぶりで、
太寿山と並び5番目に長い受賞間隔となった。

この場所は自己最速となる9日目での勝ち越しとなった。

9月場所は三役から平幕に落ちる力士が琴奨菊1人だけであり、
さらに本来なら三役に上がってもおかしくない
星の力士が平幕上位にとどまったため、

わずか5枚半上昇にとどまる西前頭2枚目の地位となった。
さらに不運にも場所前に元々悪い膝を負傷。

左膝骨挫傷で約1カ月の治療期間を要する見込みとの診断書を提出して休場。

その後8日目から出場。復帰初戦でいきなり結びの一番を取ったが黒星。

その後は膝の状態が本調子からは程遠い状態ながら

10日目に関脇の御嶽海を破るなど3勝を挙げた。

最終成績は3勝5敗7休場。

なお、2017年11月場所も2日目の取組で足を負傷。
本人はバキッと音がしたとコメントし、車いすで退場になり、

そのまま翌日から休場。
詳しい診断症状は右足首捻挫、靭帯損傷のため約1カ月の治療とのこと。

3日目の対戦相手魁聖は不戦勝。

休場は通算で4度目となった。
場所中の復帰は絶望視されていたが、
8日目から再出場して大翔丸に白星。

しかしやはり足の状態は思わしくなく、
そこからは6連敗をするなどで合計3勝に留まり、
翌場所で37場所連続在位を続けてきた幕内から陥落。

2018年1月場所は西十両2枚目の地位で土俵に上がり、
10日目まで5勝5敗であったが11日目から4連勝。

千秋楽は黒星であったが
9勝6敗と半年ぶりの勝ち越しを果たし、翌3月場所に再入幕。

幕尻となる東前頭17枚目で迎えた3月場所は、
序盤から好調で初日から4連勝を記録。

5日目の妙義龍戦では、土俵際の判定が微妙だったものの、
物言いが付かずに敗れる不運もあって連勝が止まったが、

そこからも調子を大きく崩さず、
11日目に勝ち越しを決めた。

しかし残りを4連敗として勝ち越しは1つに留まった。

4月2日の春巡業中津川場所の朝稽古では
この日の力士最多となる19番(16勝)でやる気をアピールした。

栃ノ心が1月場所に幕内最高優勝を果たしたことと
春日野が巡業部長に就任したことが、
発奮して稽古に励む要因となっている。

9月場所前の相撲雑誌に「幕内の申し合いがわずか26番というのは、
お粗末の一言だろう」と嘆かれた

7月30日の夏巡業大津場所では、
14番取るなど積極的な稽古を行い、

この日の稽古では11連勝も確認されている。

その他、連日幕下にも20番ほど胸を出している。

2019年3月場所は優勝争いに加わっていたが、

13日目の嘉風戦で送り出しで敗れて3敗目を喫して脱落。
それでも自己2位の幕内での場所成績となる12勝3敗の対象に終わった。

千秋楽の友風戦は勝った方が敢闘賞受賞となることが
取組前に決定していたが、勝利して自身3度目となる敢闘賞を受賞。




合い口

横綱・白鵬には1勝19敗。
2015年9月場所で不戦勝を獲得したが、自力での勝利は無し。

横綱・鶴竜には1勝17敗。
鶴竜の横綱昇進後は11敗。
鶴竜が大関だった2013年11月場所で初勝利。

大関・豪栄道には3勝20敗。
豪栄道の大関昇進後は3勝8敗。
2014年9月場所で初勝利。
最近では2015年11月場所で勝利。

大関・高安には9勝8敗。
2012年3月場所の幕内初顔合わせから2013年5月場所まで
4連勝していたが、自身が新関脇となった2014年11月場所から
2015年5月場所まで4連敗。
2015年7月場所から2016年11月場所まで4連敗。

大関・貴景勝には0勝3敗。

元大関・栃ノ心には1勝。
2012年3月場所以降は栃ノ心と同部屋に所属しているため、
対戦が組まれなくなった。

元大関・琴奨菊には7勝15敗。
初顔合わせだった2012年7月場所で初勝利。
最近では2019年3月場所で勝利。

元大関・照ノ富士には1勝12敗。

照ノ富士の大関在位中は1勝8敗。
2016年9月場所で初勝利。

元横綱・日馬富士には3勝15敗。
日馬富士の横綱昇進後は3勝13敗。
2013年9月場所で初勝利。
最近では2015年1月場所で勝利。

元横綱・稀勢の里には6勝13敗(不戦敗による1敗を含む)。
稀勢の里の横綱昇進後は1敗。

元大関・雅山とは、
雅山の大関陥落後に2度対戦し2勝。

元大関・把瑠都には2戦全敗。

元大関・琴欧洲には4戦全敗。

・碧山関の通算成績は

通算成績:406勝350敗19休(59場所)
通算勝率:.537

幕内成績:330勝313敗17休(44場所)
幕内勝率:.513

三役在位:4場所(関脇2場所、小結2場所)
十両成績:26勝17敗2休(3場所)

まとめ;碧山関の出身地と体重は?結婚した嫁さんと子供等の調査の結果は?

巨漢で大相撲を賑わしている碧山関の経歴などを中心にしながら
出身地のブルガリアの情報を交えながら
お目出度い碧山関の結婚の経緯についても掲載しました。

特に、通算成績は
通算成績
通算成績:406勝350敗19休(59場所)
通算勝率:.537
幕内成績:330勝313敗17休(44場所)
幕内勝率:.513
三役在位:4場所(関脇2場所、小結2場所)
十両成績:26勝17敗2休(3場所)

この様な素晴らしい成績なので待望の「横綱」に昇進できるのは
稜になるのでしょうか

楽しみです!

如何でしたでしょうか?

最後までお付き合い有難う御座いました。


志摩ノ海の成績は両親は?結婚しているのか調べてみました!

志摩関は大相撲の中で将来を期待される力士の一人です。

そんな、志摩関は、入門以来順調に成長して

東十両筆頭の位置で頑張っています。

今回は、志摩関が結婚しているのか?
そして両親の情報も調べてみました。

同時に、所属している部屋の情報も調べてみました。

志摩関を応援しているファンの皆様の参考に成れば
幸甚です。

志摩ノ海のプロフィール

志摩ノ海関は和具中学校(現:志摩中学校)卒業

小学校3年から中学校3年まで相撲の他に野球をやっていたが、
相撲が大好きで、基礎トレーニングのみをしていた。

中学卒業後は高校相撲の名門明徳義塾高校に進学、

その後近畿大学経営学部に進学。

大学時代は西日本学生相撲新人選手権大会で
早速団体・個人共に優勝しています。

その後も団体戦レギュラーとなり、3年が経過
全国学生相撲選手権大会で団体優勝などの活躍をした。

しかし個人戦では優勝の実績は少なかったので、
大学在学中には大相撲の幕下付出資格を
取得することができなかった。

四股名 濱口 → 志摩ノ海
本名 濱口 航洋
愛称 コウヨウ
生年月日 1989年7月11日(29歳)
出身 三重県志摩市志摩町和具
身長 177.0cm
体重 165.0kg
BMI 52.67
所属部屋 木瀬部屋
成績 現在の番付 東十両筆頭
最高位 東十両筆頭
生涯戦歴 199勝115敗37休(42場所)
優勝 十両優勝2回
三段目優勝1回
序二段優勝1回
序ノ口優勝1回・志摩ノ海の来歴

木瀬部屋に入門して2012年5月場所に初土俵を踏んでいます。

初めて番付に名前が載った同年7月場所である。

初土俵では、7戦全勝として序ノ口優勝決定戦で
岩崎との同部屋決戦に臨んだが、敗れて優勝はできなかった。

その結果、序二段に昇格した後
9月場所でも7戦全勝としたが、
またもや岩崎との優勝決定戦に敗れ、
2場所続けて各段優勝を逃した。

三段目に昇格した11月場所はでは、
2日目に貴月芳に敗れて初土俵からの
連勝記録は14でストップした。

三段目2場所目となった翌2013年1月場所では
また1番相撲から連勝が続き、土付かずの7戦全勝を果たした。

この場所では、他に三段目で7戦全勝を達成したものは居なかったので、
優勝決定戦は行われず初の各段優勝が決まった。

同年3月場所は、この大健闘により、全勝すれば翌場所に
十両昇進が可能とされる幕下15枚目以内の番付まで一気に躍進。

7月場所では西幕下4枚目とついに関取昇進も目前の
番付まで上がったが、
7日目(4番相撲)の千代丸戦で敗れた際に
左膝前十字靭帯断裂の大怪我を負ってしまい
9日目から途中休場することになってしまった

翌9月場所以降も、怪我が治らずに休場を続けた。

2014年7月場所で土俵復帰したが、
番付は序ノ口まで転落。
この場所では、7戦全勝で序ノ口優勝を果たした。
翌9月場所も序二段優勝を果たした。

三段目に復帰した翌11月場所では3日目の
3番相撲で元幕内の大喜鵬に敗れ、
翌2015年1月場所で幕下に復帰。

2016年1月場所では6勝1敗で幕下の優勝決定戦に進出し、
1回戦で同部屋の宇良と対戦した。

5月場所では東幕下5枚目では、
千秋楽の元十両・竜電戦で勝ち越して4勝3敗と、
通常ならば幕下に留め置かれる成績だったが、
十両下位及び幕下上位に負け越した力士が多かった関係で
場所後の新十両が決定した。

このタイミングで師匠・木村瀬平の現役時代の四股名肥後ノ海にちなみ、
「志摩ノ海」に改めました。

十両昇進後、志摩ノ海は復帰するまでの稽古や
トレーニングについて「自由にやらせてくれた」と
木瀬に感謝するコメントを残しており

7月場所は中日まで4勝3敗と一進一退であったが、
9日目から8連敗して4勝11敗と大敗を喫し、
幕下からの出直しを余儀なくされた。

その後も幕下15枚目以内の番付を維持し、
2017年5月場所では西幕下5枚目の番付で
5勝2敗の成績を挙げるが、

この場所では十両下位で負け越して幕下陥落が見込まれる
力士が2人しかいなかったのに対し、
東幕下筆頭の阿炎が5勝2敗

西幕下2枚目の岩崎が6勝1敗と志摩ノ海の成績を
上回った関係上、翌7月場所は西幕下2枚目に留まって
3勝4敗と負け越し。

西幕下5枚目で5勝2敗と勝ち越したが、
またしても2017年5月場所と同様の事態が発生し、
翌11月場所では西幕下3枚目に留め置かれた。

以降は勝ち越しを続け、西幕下2枚目で迎えた
2018年1月場所で5勝2敗の成績を修め、
場所後の番付編成会議で10場所ぶりの
十両復帰が決まった。

十両復帰の3月場所は、
自己最高位を更新する西十両11枚目の番付で迎えた。
中日までに2勝6敗と苦しい星勘定だったが、
中日以降は見違えるような相撲で7連勝とし、
9勝6敗の成績で十両で初めて勝ち越した。

9月場所は、中日まで3勝5敗。
この場所は5勝10敗と成績が付いて行けなかった。

2019年1月場所と3月場所は連続で十両優勝。

2場所連続の十両優勝は、
2014年7月場所から9月場所の栃ノ心に続き平成で9人目である。

ここまで順調ではなく、怪我と勝負に戦いながらも
現在は、東十両筆頭で頑張っています。

木瀬部屋とは

木瀬部屋は日本相撲協会所属で出羽海一門の相撲部屋。

かつて伊勢ヶ濱一門(旧・伊勢ヶ濱一門)にも同名の部屋が存在しいましたが、
系統的つながりはありません。

2018年現在、最も多くの力士が在籍する相撲部屋である。

所在地
東京都墨田区立川一丁目16番8号

マップ

都営地下鉄大江戸線、都営地下鉄新宿線各森下駅徒歩5分

師匠木村 瀬平 (きせ)<委員>
11代:木村瀬平しこ名 前頭筆頭 肥後ノ海 (ひごのうみ)
本名 坂本 直人
生年月日 昭和44年9月23日生
出身地 熊本県
生涯戦歴 407勝476敗80休
受賞歴 優勝0回/殊勲賞0回/敢闘賞0回/技能賞0回

力士
十両
東十両筆頭 志摩ノ海 航洋(しまのうみ)
西十両四枚目 徳勝龍 誠(とくしょうりゅう)
東十両八枚目 臥牙丸 勝(ががまる)
西十両九枚目 明瀬山 光彦(あきせやま)
東十両十枚目 英乃海 拓也(ひでのうみ)
東十両十四枚目 大成道 喜悌(だいせいどう)
幕下
東幕下三枚目 常幸龍(じょうこうりゅう)
東幕下五枚目 美ノ海(ちゅらのうみ)
西幕下六枚目 徳真鵬(とくしんほう)
東幕下七枚目 木崎海(きざきうみ)
東幕下九枚目 希善龍(きぜんりゅう)
西幕下十枚目 芝(しば)
東幕下十六枚目 古場(こば)
西幕下十九枚目 田邉(たなべ)
西幕下二十七枚目 禧勢岳(きせおか)
西幕下三十四枚目 肥後ノ城(ひごのじょう)
西幕下三十六枚目 宇良(うら)
西幕下三十八枚目 つる林(つるばやし)
西幕下四十一枚目 高立(たかりゅう)
東幕下四十四枚目 井上(いのうえ)
東幕下五十八枚目 肥後嵐(ひごあらし)
西幕下六十枚目 佐々木山(ささきやま)
三段目
東三段目十三枚目 剛竜(ごうりゅう)
西三段目二十四枚目 鳩岡(はとおか)
東三段目二十八枚目 南海力(なんかいりき)
東三段目三十二枚目 駒木龍(こまきりゅう)
東三段目四十七枚目 周志(しゅうじ)
序二段
西序二段二十五枚目 蓮台山(れんだいやま)
東序二段三十五枚目 白瀬山(しらせやま)
西序二段四十七枚目 肥後乃双(ひごのそう)
東序二段五十三枚目 肥後ノ龍(ひごのりゅう)
東序二段七十九枚目 浜美龍(はまみりゅう)
西序二段九十五枚目 最上錦(もがみにしき)
西序二段百一枚目 福田(ふくだ)
序ノ口
東序ノ口九枚目 大志龍(だいしりゅう)
西序ノ口二十四枚目 肥後光(ひごひかり)

志摩関の両親は

志摩関の両親について調べてみました。

お父さんの名前は濱口 幸康さんです。

残念ながら平成21年4月に54才で亡くなられて居ます。

志摩関のお父さんは、相撲が大好きなお父さんでした。

志摩ノ海が子供の頃には、いつもテレビで相撲を

一緒に見て楽しんでいたことを記憶に残っている様です。

志摩関のお母さんの名前は恵子さん(57才)です。

以前は保育士のお仕事をされていたそうです。

志摩ノ海は2人兄弟で、お兄さんがいます。

お兄さんは、裕さん(34才)で、
現在は会社員をされているそうです。

男の兄弟2人兄弟だったので、

子供の頃は一緒に暴れまわって遊んでいたそうです。

男兄弟というのは結構やんちゃ同士だったので

さぞかし、お父さんを困らせたのかも知れませんね!

志摩の海関は結婚しているの?

志摩関はもう直ぐ30歳になろうとしています。

男30歳は結婚してもよい年頃かも知れませんが

ネット情報を調べてみましたが、残念ながら

見当たりませんでした。

結婚適齢期?なので、結婚の情報が楽しみです!

まとめ:志摩ノ海の成績は両親は?結婚しているのか調べてみました!

志摩の海関は目下大相撲で大活躍の力士です。
今回調べた内容は、志摩関の両親の情報と結婚情報を
調べた内容を掲載いたしました。
志摩関はこれから益々強くなって大関・横綱を目指して

頑張って欲しいと思い今後も応援したいですね!

最後までお付き合い有難う御座いました。


相撲・阿武咲のライバルは、貴景勝!両関取の趣味や得意な歌は?

阿武咲が大相撲で人気上昇中で若手ホープとして
注目をされています。
阿武咲関と貴景勝はライバルと公言していますが
実際は、どの様な関係なのか調べてもみました。

今回は、阿武咲関の趣味や特技もご紹介したいと思います!

阿武咲のプロフィール

阿武咲は中学校時代には、
全国都道府県中学生相撲選手権大会の個人戦で、
中2、中3と史上唯一の連覇を果たしたという記録を持っています。

中学卒業後、名門・三本木農業高校の相撲部に進むと、
1年でインターハイ団体優勝に貢献しましたが、
角界へ進む道を選択して高校を中退。

平成25年1月に初土俵

入門からわずか2年の負け越し知らずで、

平成27年1月に新十両に昇進しました!
身長 177.0cmの身長と160.0kgの体重は、
決して大相撲業界では大柄とは言えませんが
闘志あふれる突き押し相撲は、迫力満点で魅力絶大です。!

阿武咲 奎也
(おうのしょう ふみや)
所属部屋 阿武松
本名  打越 奎也
しこ名履歴 阿武咲
番付 前頭五枚目
生年月日 平成8年7月4日
出身地 青森県北津軽郡中泊町
身長 177.0cm
体重 160.0kg
得意技 突き・押し

趣味
特技:水泳・スノーボード・スキー
趣味:電話・映画鑑賞・カラオケ

特技は意外やスノーボードやスキーとなっていますね
この趣味から当然足腰を鍛えたのかも知れませんね

趣味は電話?
地元の青森の友達と津軽弁でしゃべるのが、息抜きになるようです。

カラオケは演歌からJ-POPまで何でもこなすそうです。
何を歌っても、めちゃくちゃうまいです!
良く歌うのはケミストリーとか・・・・
歌がうまいので時には、相撲甚句も歌うことがあるようです。

好きな女性のタイプは、長澤まさみさんらしいです

貴景勝のプロフィール

貴景勝 光信
(たかけいしょう みつのぶ)
所属部屋 千賀ノ浦
本名 佐藤 貴信
しこ名履歴 佐藤 → 貴景勝
番付 関脇
生年月日 平成8年8月5日
出身地 兵庫県芦屋市
身長 175.0cm
体重 169.0kg
得意技 突き・押し

ライバルは親友でもある千賀ノ浦部屋の貴景勝について

幕内力士で千賀ノ浦部屋の貴景勝は大の親友でライバルだと公言しています!

巡業先でも休憩時間などは、よく一緒におしゃべりしたりしているらしいです。

お互いの存在を知ったのは、なんと、小学校4年のわんぱく相撲の時です。

この頃は互いにお話をしたことがなかったようですが

阿武咲は「こいつとは絶対に仲良くならないな」と思っていたらしいでした。

然し、お互い相撲界に入りして、阿武咲が貴景勝のところに
出稽古に行った時に、初めて言葉を交わし、
そこからとても仲良くなったそうです!

二人の希望は、2人とも共に大関に昇進して、

これから先、幕内で50回は対戦することを目標にしようと話していた様です!

しかしながら、貴景勝は一足先に、幕内優勝を飾りましたので、

阿武咲は凄く刺激を受けていると思われます。

今後の2人の出世争いも楽しみのひとつになってきましたね!

益々大相撲が盛り上がり互いに切磋琢磨して、頑張って下さい!

まとめ:相撲・阿武咲のライバルは、貴景勝!両関取の趣味や得意な歌は?

今回は、阿武咲のライバル?貴景勝の経歴などを掲載いたしました。

阿武咲関は今迄切磋琢磨して今日の地位を確保したのですが
やはり、ライバルである貴景勝が自分よりも先に幕内優勝の偉業を
されてしまいましたが、阿武咲はさぞかし悔しいのではないかと思います。

しかしながら、阿武咲関はこの悔しさを超越して少しでも早く幕内優勝を達成して
貰いたいのです。現在の目標はあくまでも一つ上の大関ですが
横綱に昇進できる力量と技を持っていますので、頑張って下さい!!