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朝乃山英樹の両親や実家や大学や学歴などとプロフィールや経歴も調査

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朝乃山関は、令和元年で最初の大相撲幕ノ内に優勝して

アメリカの大統領杯をに本人では最初の受領しました。

この様な事は日本人の大相撲業界では初めての事です。

今回は、この様な見事な栄冠を獲得された朝乃山関について
両親や実家や大学や学歴などととプロフィールや経歴も調査しましたので
個々に解説しました。

朝乃山英樹の両親について

父親の名前は石橋靖さんと言います。

2019年5月では61歳のようです。

父親の石橋靖さんは会社員として働いておりますが
還暦を迎えられたようです。

お父さんは、スポーツよりも文科系を好んでおり

相撲に対する経験はなかったようです。

ですので、相撲の技術的な指導は

その時の指導者に託していたそうです。

子供達が相撲に励んでいる時などには

仕事が忙しく、相撲を見に行く時間が取れなかったそうです。

現在の息子である朝乃山関がこれだけ成果を上げ

人気力士として有名になったので

相撲観戦にはたびたび訪れたそうです。

報道によると、現在は、東京場所なら

初日・中日・千秋楽と、3週連続で両国国技館へ出かけています。

大阪、名古屋、福岡での本場所は回数が減りますが、

それでも必ず会場へ出掛けて、行くようにしているそうです。

やはり可愛い朝乃山関の試合の結果が気になるのは

当たり前ですよね!

流石に優勝の表彰式には、両親の感動している姿が

テレビに映ったのを見て、ファンも感動したのを記憶しています。

母親の名前は、石橋佳美さんです。

年齢は2019年5月では56歳のようです。

夫が忙しいのか専業主婦として

家族を精神的に支えておられるようです。

ですから、朝乃山関の食事や相撲を支えたのも
お母さんのようです。

専業主婦だった母・佳美さんは、

車での送り迎えや弁当作りなどで、
朝乃山関の相撲活動を支えてきました。

朝乃山関の弁当箱は大きく、何を入れるか悩み、

チャーハン・オムライス・焼きそばという

炭水化物ばかりになった日もあったようです。

いずれにしても、相撲は大変お腹が減るので

沢山の量が必要らしく、お母さんの苦労が判るような気がします。

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朝之山の兄弟について

朝乃山は3人の男ばかりの兄弟の次男として生まれています。

長男は、5歳年上の石橋卓磨さんと言います。

次男は石橋広暉 (朝乃山)です。

三男は3歳年下の石橋尚也さんです。

性格は、長男はしっかり者で

次男の朝乃山は兄弟の中で一番運動神経が良く

弟は、身体の大きい朝乃山に押されても、
我慢する性格のようです。

朝乃山英樹は結婚してる?

朝乃山関は現在(2019年5月)25歳なので、
結婚していてもおかしくありませんが、独身です。

2017年8月29日の日刊スポーツによると、

好きな女性のタイプは磯山さやか、上戸彩、石原さとみ

現時点での年齢は、磯山さやかさん(35歳)、
上戸彩さん(33歳)、
石原さとみさん(32歳)です。

朝乃山の好みの女性は、上記の皆さんは年上のかたばかりですね
だからと言っても年上の女性との結婚については
難しいですね・・・・・

朝乃山英樹の実家は

朝乃山関は、富山県富山市の出身です。

朝乃山のプロフィール

基礎情報
四股名 石橋 → 朝乃山
本名 石橋 広暉
愛称 イシバシ、バッシー、富山の人間山脈
生年月日 1994年3月1日(25歳)
出身 富山県富山市
身長 187cm
体重 170kg
BMI 48.61
所属部屋 高砂部屋
得意技 右四つ、寄り、上手投げ
成績
現在の番付 西前頭8枚目
最高位 西前頭5枚目
生涯戦歴 154勝98敗(20場所)
幕内戦歴 90勝75敗(11場所)
優勝 幕内最高優勝1回
幕下優勝1回
賞 殊勲賞1回
敢闘賞3回

朝乃山の来歴

今回は、朝乃山の小学校時代から角界に入門する迄を
項目別に解説しています。

朝乃山の小学校時代について

富山市立呉羽小学校4年生から、ハンドボールと並行して相撲を始めた。

ハンドボールは小学4年生の頃から3年間行っており、

富山県の強化選手に選ばれるほどの実績を残している。

母校の呉羽小学校のグラウンドの一角にある土俵の名前は

「太刀山道場」であり、もし太刀山ゆかりの土俵がなかったら

「(相撲を)やってなかったかな?

相撲部もなかったんじゃないですか。
横綱がいたからこそ、土俵ができたと思う」という。

朝乃山の中学校時代について

しかし、富山市立呉羽中学校へ進学後はハンドボール部の

厳しい練習に耐えられずに退部し、相撲部へ入部した。

相撲部の練習はハンドボール部の練習より厳しいものであったが、

退部を切り出す機会が無いまま稽古に励んだ結果、

中学3年次には、全国都道府県中学生相撲選手権大会に出場している。

この大会で左肘を負傷したことで相撲を辞めることも検討したが、

富山県立富山商業高等学校相撲部監督から

浦山英樹に「富商に来い。俺が強くしてやる」

声をかけられて同高校に進学した。

●朝乃山の高校時代から角界に入門迄について

高校3年生では選抜高校相撲十和田大会準優勝の実績を残した。

高校時代からプロ入りを意識しつつ

近畿大学経済学部経営学科に進学すると団体戦でも活躍した。

大学1年生の3月には高砂部屋が春場所の前に行うも

恒例行事である近大との合同稽古で当時幕下で

あった朝弁慶と稽古を行い、

この時を石橋は

「あれだけ重い人が思い切りぶつかってくるなんて、

それまで経験したことありませんでした。
まさしく戦車です。

受け止められなくて吹っ飛ばされましたよ」

と入幕後に述懐している。

そのため、石橋は大相撲など自分とは無縁だと痛感し、

角界に飛び込む気持ちなど全くなかった。

2年生の時には玉木が早くから若松(元幕内・朝乃若)に

誘われていたが、石橋には声が掛からなかった。

それでも、国体でも富山県代表選手に選抜され、

2015年の国体で富山県の団体優勝に貢献した。

大学時代に個人タイトルは最終的に7つ獲得したが、

主要な大会のタイトルは無かった。

しかし、4年生で国体成年の部4位、

全日本相撲選手権大会ベスト4の実績を残したことで、

2015年5月に創設されたばかりの三段目付出資格を取得した。

全日本選手権をもって大学生としての全ての試合が終了した後は、

大学2年次に受けた近畿大学OBの

若松親方(元幕内・朝乃若)の勧誘が決め手となり、

12月24日に高砂部屋への入門を発表した。

入門に当たり、1年後の春には
関取になって富山に帰りたいと抱負を語った。

若松に勧誘された経緯について

石橋は「最初は、若松親方が玉木を誘っているのを横で、
直立不動で聞いているだけだったんですけど、
気が付いたら自分も誘われていたっていう感じです」

と、話している。

本来は勧誘を受けてもなお入門するつもりは無く、

卒業後は富山に帰郷するつもりであったが、

恩師の浦山から

「お前には富山に就職先はない。高砂部屋に入れ」

と、言われており、

石橋は後に若松親方と浦山監督とで話を進めていたようです。

監督にしてみれば、教え子が関取になっていないので

寂しかったんじゃないかなと思います」と分析している。

高砂部屋は師匠の高砂親方(元大関・朝潮)も

近畿大学卒業生であり、同級生でチームメイトだった玉木も

1場所早く初土俵を踏んでいる。

その玉木は入門当初「朝玉木」を名乗ったが、

石橋が入門すると本名で揃えたいという理由で

四股名から「朝」の字を外している。

石橋の三段目付出入門は

2016年1月28日に日本相撲協会の理事会で承認され、

同制度の初適用第1号となった。

2016年3月場所で初土俵を踏むと、

1番目から共に三段目付出となった同期入門の小柳と取組が組まれ、

黒星発進となった。

最後の7番目の相撲でも水戸司に逆転負けを喫して

最終的に5勝2敗の成績だった。

続く5月場所で初めて番付表に四股名が載ると

6連勝の好発進となったものの、

三段目優勝がかかった最後の7番目で

前場所の序二段優勝者だった琴太豪に寄り切りで敗れて

6勝1敗に終わった。

朝乃山の幕下15枚目以内の番付に昇格と四股名の決定について

翌7月場所も無傷の4連勝で幕下入りを有力な状況とし、

5番目も幕下力士に勝利したが、

6番目でこの場所を幕下優勝する竜勢に敗れた。

最終的に6勝1敗の好成績により、

9月場所で幕下へ昇進した。

この場所も6勝1敗の好成績だったため、

翌11月場所では関取昇進の可能性がある

幕下15枚目以内の番付に昇格した。

この場所は全勝すれば関取昇進というチャンスの

場所であったが、

同時に高砂部屋創設以来138年間必ず番付にいた

関取がゼロになるピンチでもあった。

結果、石橋は5勝2敗で関取昇進を逃し、

朝赤龍が幕下陥落を余儀なくされたため、

ピンチを回避することは叶わなかった。

石橋は千秋楽の打ち上げの席で朝赤龍が高砂に
泣いて詫びたことに関して

「自分は直接、その場面を見ていなかったんですが、
後から知らされました。(朝赤龍は)部屋の伝統をいちばん重く受け止めていたに違いありませんし、自分が勇み足なんかしないで勝てていればと、
悔しくて、不甲斐なかったですね」

と語っている。

2017年は西幕下7枚目と初めて幕下一桁台の地位となって始まったが、

その1月場所では7戦全勝の幕下優勝を果たし、

同時に新十両昇進も確実とした。

この場所は1878年の高砂部屋創設以来、

初めて部屋所属の関取が不在となった場所であったが、

これにより、関取不在は1場所で解消されることになった。

また、富山県出身の関取は1997年5月場所限りで引退した琴ヶ梅以来

途絶えていたが、こちらも20年ぶりに復活することとなった。

そして、場所後の1月25日に開かれた番付編成会議にて、

石橋の3月場所での新十両昇進が正式決定すると、

同場所からそれまで本名のままだった四股名を

「朝乃山 英樹」へと改名することを発表した。

部屋伝統の「朝」の字に、故郷の富山や恩師浦山、

同郷の大先輩である第22代横綱・太刀山に肖った「山」の

字を四股名に含めた。

下の名は、石橋が幕下優勝を決めた一番をテレビで

見届けた翌日に病死した恩師浦山の名前をそのままつけており、

四股名の考案は葬儀の日に高校の先輩と行った。

朝乃山の十両昇進について

所要6場所での新十両昇進に
「大阪で初土俵を踏んだのが1年前。第2の故郷の大阪に、
関取で帰ってくる目標を達成できて良かった」と

安堵(あんど)の笑みを浮かべ、

新十両の土俵では「幕下までは1場所7番。

これからは15番取れるのが楽しみ。

右四つ、左上手の自分の相撲を思い切り取りたい」

と抱負を語った。

高砂親方も

「伸びしろは、まだある。しこ名を有名にするも、しないも、本人次第。いろいろと吸収して自分の力、血に替えることが大事」

と期待した。

なお、朝乃山の昇進で2017年3月場所の関取70人の内

平成生まれが36人を数え、

史上初めて番付上平成生まれの関取が

昭和生まれの関取を上回った。

新十両となった3月場所では、
途中で連敗もあったが最終的に10勝5敗の好成績を挙げて

優勝決定巴戦にも進出したが、

豊響に敗れて優勝とはならなかった。

5月場所は8勝7敗で勝ち越し、

西十両5枚目で迎えた7月場所は、

初日に前場所で小柳から改名した豊山を破ってから

8連勝で中日勝ち越しとなり、
十両の優勝争いで単独トップに立った。

9日目に魁聖に敗れて初黒星となり、

初日に自身に敗れた後8連勝とした豊山と並ぶ形となった。

10日目・12日目も黒星がついたが、

優勝争いで並んでいた豊山も揃って負けたため、

優勝争いの先頭には残り続けたが、

12日目に3敗となった時点で、大奄美も優勝争いの先頭に並んだ。

13日目に豊山が大奄美に敗れて4敗に後退し、

14日目に大奄美が敗れて4敗となると

再び優勝争いの単独トップとなったが、

千秋楽の本割で大奄美に敗れて4敗となったことで、

優勝争いの決着は再び優勝決定戦に、

それも豊山を交えた自身2度目の巴戦になったが、

大奄美に敗れて2度目の決定戦も敗退となった。

8月2日に行われた夏巡業富山場所では

長い時間土俵で胸を出し、錦木などと稽古を行った。

懸賞が3本懸っていた千代丸との取組は寄り切りで勝利。

翌9月場所は新入幕で東前頭16枚目となった。

新入幕の9月場所は、7日目まで白星と黒星が交互に並ぶ星取りもあったが、

上位力士の不調もあり13日目終了時点で、3敗で単独首位の豪栄道を

1差の4敗で追うという展開で、新入幕ながら優勝争いにも関与した。

14日目に自身が敗れて豪栄道が勝ったため、優勝争いからは脱落したが、

10勝5敗の好成績で敢闘賞を獲得した。

もしこの場所で優勝すれば、1914年の両國勇治郎以来103年ぶりとなる

新入幕での幕内最高優勝となったため、そのことから報道上でも話題になった。

敢闘賞を手にした朝乃山は千秋楽の支度部屋で

「上位とも当たり、いい経験になった。
新入幕で勝ち越しで終われるとは思っていなかったので、自分が一番驚いている。
幕内で二桁勝利は自信になります」

と話していた。

10月15日の秋巡業京都場所の戦績について

10月15日の秋巡業京都場所では

ぶつかり稽古で白鵬に胸を出してもらった。

すぐにスタミナ切れした朝乃山だったが

「自分に近い。柔らかさ、重さ、力強さがある」と
白鵬は素質を認めた。

17日の岐阜場所では稀勢の里と三番稽古を9番行い3勝6敗。

稀勢の里も
「当たりが強い。伸びしろもまだまだある」と評価した。

11月場所は番付運にやや恵まれず、

4枚半上昇の西前頭11枚目で迎えた。

この場所は2度の4連敗を喫するなど先場所から、一転不調に陥り、

5勝10敗と二桁の負け越しとなった。

幕内残留も危ぶまれる星であったが、

2018年1月場所は西前頭16枚目に留まり、9勝6敗で勝ち越した。

この場所は初日から6連勝を挙げているが、

本人は

「幕尻なのでうれしくない」

と、場所後の雑誌のインタビューで答えている。

5月場所は10日目の安美錦戦で肩透かしにより敗れ、

その際に左足首を負傷した影響で終盤戦は1勝4敗と失速、

この場所は7勝8敗と勝ち越しを逃した。

周囲からは「なんであと1番、欲を出していかなかったんだ」と

苦言を呈され、高砂からも不甲斐ない相撲を一喝された。

朝乃山の7月場所について、2度目となる敢闘賞を受賞

西前頭13枚目で迎えた7月場所は序盤から好調で、

9日目を終えた時点で8勝1敗の成績だった。

この時点で既に全勝の御嶽海の他に1敗までの力士がおらず、

唯一自力優勝の可能性がある立場となったが、

10日目に北勝富士に敗れて2敗に後退。

終盤は上位力士との割が組まれたことで少し失速したが、

それでも幕内では自己最高となる11勝4敗の成績を挙げ、

最終盤まで優勝争いに加わったことで

自身2度目となる敢闘賞を受賞した。

5月場所に勝ち越しを逃した悔しさから奮起し、

欲を出して三賞を狙いにいった結果であった。

9月場所は自己最高位となる西前頭5枚目まで番付を伸ばした。

この場所は久しぶりに横綱・大関陣が揃って出場したこともあって、

15日間のうち自身より番付上位の力士との取組は

僅か3番しかないなど割に恵まれて序盤は白星を先行させた。

しかし7勝3敗から5連敗を喫するなど終盤に急失速して

7勝8敗の向こう給金に終わった。

2019年3月場所は

10日目まで7勝3敗と好調であったが、

11日目から5日連続で給金相撲を逃し、

千秋楽負けて7勝8敗と勝ち越しを逸した。

朝乃山の幕内優勝の瞬間について

西前頭8枚目で迎えた5月場所は絶好調で、

9日目に勝ち越しを確定させました。

11日目を終えて10勝1敗で単独トップとなり、

13日目は優勝争いを優先して「割崩し」がされる形で

2敗の自身に対して3敗で追う栃ノ心との対戦が決定した。

取り組みでは際どい相撲となり、物言いの末、

行事軍配差し違えで朝乃山が勝利、

この後横綱鶴竜が結びで高安に敗れたことにより、再び単独トップに浮上する。

14日目は大関豪栄道に勝ち12勝目を上げ、

それまで3敗で追っていた鶴竜が敗れて4敗になったため、

自身初の幕内最高優勝を確定させた。

富山県からは大正5年夏場所の横綱太刀山以来103年ぶり、

三役経験のない力士の優勝は

昭和36年夏場所の佐田の山以来58年ぶりとなる快挙を挙げた。

さらにこれが「令和」初の幕内最高優勝となった。

初の幕内最高優勝の前ぶりは、

西前頭13枚目で迎えた7月場所での成績が思わしくなく

単に敢闘賞受賞をしたが、戦績は今一であったので

その悔しさが、幕内最高優勝に繋がったのではないかも知れません。

朝乃山の学歴は

小学校は、呉羽小学校です。

呉羽小学校のグラウンドの一角にある土俵の名前は
「太刀山道場」であり、もし太刀山ゆかりの土俵がなかったら
「(相撲を)やってなかった。

中学校は、富山市立呉羽中学校す。

ハンドボール部の
厳しい練習に耐えられずに退部し、相撲部へ入部した。

高等学校は、富山県立富山商業高等学校です。

富山県立富山商業高等学校相撲部監督から

浦山英樹に「富商に来い。俺が強くしてやる」と

声をかけられて同高校に進学した。

大学は、近畿大学経済学部経営学科です。

石橋は大相撲など自分とは無縁だと痛感し、角界に飛び込む

気持ちなど全くなかった。

2年生の時には玉木が早くから若松(元幕内・朝乃若)に

誘われていたが、石橋には声が掛からなかった。

恩師の浦山から

「お前には富山に就職先はない。高砂部屋に入れ」

と言われており、石橋は後に「若松親方と浦山監督とで話を進めていたようです。

この様な経緯で角界に入門しています。

まとめ

今回は、朝乃山英樹の両親や実家や大学や学歴などと
プロフィールや経歴も調べて解説しました。

解説の内容は、各項目別に解説しましたが、御理解頂けたでしょうか?
朝乃山関は、相撲の勝負勘は素晴らしい才能を持っているらしく
今日の幕内優勝を果たし、
安倍総理とトランプ大統領にも祝福されるなんて夢の様な功績でした。

本当におめでとうございます。

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