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阿炎の四股名の読み方は?名前の由来と現在と将来性などを解説

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阿炎関は無敗の白鵬関を破って人気上昇中です。
大相撲の横綱入りで鶴竜関の付き人としても人気がありますね
そんな阿炎関ですが四股を切るときの足の高さが見事なのも人気です。

阿炎という四股名は相撲業界では大変珍しく読み難い四股名ですね
今回は、阿炎という四股名の読み方を解説しようと思います。




阿炎のプロフィール(1)

阿炎の本名は堀切 洸助(阿炎 政虎

(あび まさとら)ですが

四股名は堀切 から 阿炎に変更して現在「阿炎」を使用しています。
出身は埼玉県越谷市です。
父親は建築関係の自営業を営んでいる両親の下で
男2人女2人の4人きょうだいの末っ子として生まれています。

幼少の頃から同じ年の子供より頭一つ大きく、
性格は兄弟の中でも一番優しく、
兄や姉はスポーツ万能であり、自身も幼少期から
運動神経は悪くなかったが、両親の配慮で柔道を習っていましたが
痛いのが嫌なのですぐ辞めてしまった。
その後、越谷市のわんぱく相撲では小学1年生、
2年生の時に優勝していたが、3年生の時に負けてしまい、
悔しかったため草加相撲練修会に入会して力を付けた持ち主です。

しかし、相撲は嫌いだが仲間には恵まれ、
後に入門する錣山部屋の兄弟子となる松本豊(後の幕下彩)に
可愛がられていたこともあって相撲はやめなかったので
現在の阿炎が生まれたのである。

阿炎のプロフフィール(2)

阿炎 政虎
(あび まさとら)
所属部屋 錣山
本名 堀切 洸助
しこ名履歴 堀切 → 阿炎
番付 前頭四枚目
生年月日 平成6年5月4日
出身地 埼玉県越谷市
身長 187.0cm
体重 150.0kg
得意技 突き・押し
左利き。
最高位は西前頭2枚目(2018年5月場所)。
好物はシーフード味のカップ麺。
大の喋り好き。

阿炎の読み方は

阿炎は「あび」と読みます。
本名は
阿炎 政虎(あび まさとら)と読みます。
十両昇進と同時に、
それまで本名のままだった四股名を「阿炎」に改めています。

この四股名は師匠である錣山の愛称と同音であり、
当の錣山は「阿修羅のように強く、燃えて戦う」と
いう意味なのかも知れません。

阿炎の将来性

阿炎の現在の地位は前頭四枚目ですが
師匠は「磨けば光るところばかり。豊真将のまねをできたら、
自分なんか目じゃない」と期待を寄せていました。

豊真将関は礼儀正しく突っ張りは錣山親方の突っ張りを
武器とした素晴らしい力士でした。

この豊真将関を超えられれば、さぞかし
強い力士に成長できるかも知れません!
最近では横綱白鵬関や横綱鶴竜関からも
金星を獲得し
ています。

この様な立派な成績を収めていますので
今後は、もっと精進して大力士に成長して下さい。!




阿炎の来歴

(ここから参照:wiki)

建築関係の自営業を営む両親の下、
男2人女2人の4人きょうだいの末っ子として生まれた。

幼少の頃から同じ年の子供より頭一つ大きく、
よく食べてよく遊ぶ子供であった。
性格は兄弟の中でも一番優しく、
幼稚園時代は母がテレビドラマを見て泣いているところ
もらい泣きする一面もあった。

兄や姉はスポーツ万能であり、
自身も幼少期から運動神経は悪くなかったが、
太っていたので走るのは苦手だろうと思っていた
両親の配慮で柔道をやらせてもらった。

ただ、これは痛いのが嫌なのですぐ辞めてしまった。

越谷市のわんぱく相撲では小学1年生、2年生の時に
優勝していたが、
3年生の時に負けてしまい、悔しかったため
草加相撲練修会に入会して力を付けた。

当初は相撲が嫌いで特にぶつかり稽古が苦手であったため、
ぶつかり稽古の時間になるといつもトイレに逃げ込んでいた。

4年生以降、越谷市では選手の層が薄かったため毎年優勝し、
わんぱく相撲の全国大会にも出場したが、
全国大会ではすぐに負けていた。

両親は習字やそろばんと同じ感覚で相撲を始めさせており、
無理に続ける必要はないと思っていた。

しかし、相撲は嫌いだが仲間には恵まれ、
後に入門する錣山部屋の兄弟子となる松本豊(後の幕下彩)に
可愛がられていたこともあって相撲はやめなかった。

人懐っこい性格なので、
大会に行くと他の道場の子供ともすぐ仲良くなり、
高西勇人(後の幕内、大栄翔)や中村大輝(後の幕内、北勝富士)とも
小学校時代から仲が良かった。

越谷市立大相模中学校進学後は相撲を辞めるつもりであったが、
練修会の常光弘泰監督に説得されて嫌々ながら相撲を続けていた。
常光は「休んでもいいから、やめるのは待ってください。
あの子はきっと化けますから」と家族を説得したという。

中学生時代には、2年生の秋に県大会で3位に入賞し、
その後の大会でも同学年では敵なしであった
選手に勝って優勝した。

それ以来相撲が面白くなり、電車で1時間以上かけて
少年相撲クラブに出稽古に通うようにもなった。

第39回全国中学校相撲選手権大会において、
個人戦で3位に入賞した。

この大会では初日に予選落ちするだろうと本人は予想しており、
開催地の鹿児島の海で泳ごうと水着を用意していたほどであったという。

その後、千葉県立流山南高等学校に進学し、相撲部に入部。
同校出身の同級生には大翔鵬(追手風部屋所属)がいる。

高校総体ではベスト16に輝いたこともある。

高校3年生のとき、
第61回選抜高校相撲十和田大会において、
個人戦で3位に入賞。
ちなみに準決勝で敗れた相手は、イチンノロブ(のち逸ノ城)である。

両親は大学進学を望んでおり、
学生相撲で全国優勝を目指してほしいと願っていたが、
本人は家業を継ぐと言いだしていた。

卒業後、相撲部の監督が錣山と親しいことから
錣山部屋に入門。
堀切は最初は自分が入門するとは言っていないため、

期待させているみたいで悪い気がしたので
両親が錣山と会うのを嫌がっていたが、
卒業旅行で大阪に行っていた際に、
堀切本人が入門したいと言っているという趣旨の話を父が聞いて、
そのまま入門に至ったという。

2013年5月場所に初土俵を踏み、前相撲で一番出世。

序ノ口で迎えた7月場所では遡に敗れただけで6勝1敗。

序二段で迎えた9月場所では7戦全勝で優勝を成し遂げた。
三段目で迎えた11月場所では4勝3敗に終わったものの、

翌1月場所では再び7戦全勝で優勝を成し遂げ、

初土俵から所要5場所で一気に幕下上位となる
西幕下13枚目へと駆け上がった。

その後も殆どの場所で幕下上位を維持し、
2014年11月場所には東幕下11枚目の地位で
6勝1敗の好成績を上げ、

翌2015年1月場所には関取目前となる

西幕下2枚目の地位で5勝2敗。

場所後の番付編成会議で、
3月場所での新十両昇進が決定された。

十両昇進と同時に、
それまで本名のままだった四股名を「阿炎」に改める。

この四股名は師匠である錣山の愛称と同音であり、
当の錣山は「阿修羅のように強く、燃えて戦う」と
四股名に対する願いを新十両会見で話していた。

会見ではまた「親方の番付を超えたい」という阿炎に対し、
師匠は「磨けば光るところばかり。豊真将のまねをできたら、
自分なんか目じゃない」と
期待を寄せていた。

十両昇進を記念した祝賀会では壇上に
両親を呼び寄せ
「20年間、迷惑ばかり掛けて申し訳ありませんでした。
親方の下で稽古に励みます」と感謝の思いを口にし、
錣山は「結びの一番で白鵬と戦える力士に育てていきたい」と
スピーチした。

十両の土俵では、昇進2場所目となった2015年5月場所で
初めて勝ち越したものの、
7月場所からは2場所連続の負け越しとなり、

同年11月場所で幕下に転落した。

その後も十両復帰は遠く2016年は
丸1年間幕下生活となり、

11月場所では途中休場した同部屋力士に代わる
ピンチヒッターではあったものの、

幕下力士として横綱・鶴竜の付け人も務めた。

この場所からはまた勝ち越しが続き、
2017年3月場所では東幕下16枚目で
自身初の幕下優勝を果たした。

この場所の7番相撲で負ければ6勝1敗の力士8人による
優勝決定戦が行われるところであった。

取組後、阿炎は「昨夜は立ち合いの変化を考えていました。
師匠(元関脇・寺尾)から『思い切り前に出れば大丈夫』と
言われ気持ちを切り替えました」と
ほっとした表情を見せ「気持ちが切れかかったこともありましたが、
おいとめいが6人に増え、

相撲でいいところを見せたい思いも出てきました」と
心境を語った。

幕下15枚目以内なら規定で十両に戻れたが
「わがままは言いません。次の場所で頑張ります」と
気持ちを切り替えて、5月場所の活躍を誓っていた。

5月場所は東幕下筆頭で5勝2敗と勝ち越したことで
翌7月場所で十両に復帰し、
その場所も十両では2年ぶりの勝ち越しとした。
9月場所は14日目時点で阿炎含め4人が5敗で
4敗の琴勇輝を追う展開となり、

千秋楽ではその琴勇輝との直接対決を制し、

10勝5敗で4人が優勝決定戦に進んだ。

一回戦の誉富士戦では立ち合い変化の末破ると、
決勝ではこの日2回目となる琴勇輝戦を制し、
十両優勝を果たして躍進の場所となった。

優勝を果たしてインタビュールームに呼ばれた際には
「土俵よりも緊張する」と言ったが、
決定戦の土俵下で笑顔が見えたことを聞かれると
「私は明るい性格なので相撲を盛り上げようと思った」と
軽く答えた。

しかし仲の良い阿武咲の活躍は「うれしいけど悔しい」と
ライバル心を見せる。

「十両に戻って気持ちの面でも強くなった。

来場所も、できることを精いっぱいやろうと思う」と
気合を入れていた。

2017年10月2日の明治神宮例祭奉祝全日本力士選士権大会
第76回大会十両の部に参加して同部屋の青狼と対決、
負けて準優勝。

11月場所でも調子が下がることはなく、
10日目終了時点で8勝2敗の好成績で、
1敗の蒼国来との優勝争いを演じていたが、
ここから連敗して脱落。

それでも十両優勝だった前場所よりも良い
11勝4敗の好成績を挙げ、

続く2018年1月場所で新入幕を果たした。

1月場所は6日目まで3勝3敗と五分の星であったが、
最終的に10勝5敗を挙げて敢闘賞を受賞。

場所前から三賞トリプル受賞を狙うと公言していた阿炎は
「怖いほどうまいこといったので、この次も狙っていきたいと思います」と
インタビューで答えた。

この場所で阿炎と同時新入幕の竜電も10勝5敗での
敢闘賞を受賞している。

東前頭7枚目で迎えた3月場所は
中盤までは一進一退の星勘定だったが、
中日から7勝1敗と調子を上げて
新入幕から二場所続けての10勝を挙げた。

11日目の千代翔馬戦では39度の高熱を出しながら出場し、
この日は敗れたものの、
翌12日目の豊山戦ではまだ微熱が残る中で豊山を
押し出しで破った。

また、13日目の千代大龍戦、
14日目の琴奨菊戦では二日続けて立ち合い変化を
行う曲者ぶりも発揮した。

5月場所は東前頭2枚目となり、
初めての幕内上位での土俵となった。

6日目に横綱・白鵬を破って自身初の金星を獲得。

さらに翌7日目には大関 豪栄道も立ち合い変化で破り、
三役戦を取り終えて3勝5敗と健闘を見せたが、

千秋楽に同じく給金相撲の嘉風に敗れて7勝8敗に終わり、
幕内で初となる負け越しを経験した。

翌7月場所は東前頭3枚目で迎えた。
5日目に自身が付き人を務めた経験もある
横綱・鶴竜を破り2場所連続となる金星を獲得。

しかしここから6連敗を喫するなど早々に
負け越しが決まってしまった。
それでも終盤に4連勝と意地を見せて6勝9敗の成績に留めた。

(ここまで参照:wiki)

まとめ;四股名の読み方は?名前の由来と現在と将来性などを解説

阿炎関に関して調べてみました
阿炎関は建築会社を営む父親の全面的な応援を得て
今日までに白鵬や鶴竜から二つの金星を獲得した
目下猛進撃中の力士に成長しました。

これからは、大関を目指して益々の健闘を期待します!

現在の最強の2横綱を 打破した動画をご覧下さい!!
動画 平成三十年大相撲夏場所六日目 阿炎、初金星(インタビューまで)

動画 平成三十年大相撲名古屋場所五日目 阿炎の恩返し(インタビューまで)

如何でしたでしょうか?
阿炎関が一日も早く大関に昇進しますように応援したいと思います。

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